そう、何も隠さず話します。僕を知らない人達も居ると思うので…非常に長いので、そんな過去なんか関係ねーよ、今のcreaを応援してやるぜ!って素敵な方々は読まなくて大丈夫です(笑)
僕は高校生の時から、非嘔吐過食症だ。自分では気づいてなかった。それが精神疾患だと言うことに。非嘔吐の為に体重は増えたらダイエット、増えたらダイエットの繰り返しで普通の状態(痩せてる状態で60㎏以下だった)太って最高記録は82㎏。それの繰り返し。その頃は相当ストレスがあった。女子寮で二人部屋、トイレも風呂も皆共同。クーラー、暖房さえついてない。夏は一人一台扇風機貸して貰える。そんな感じ。自慢するわけではないが、勉強は常に学年トップ。そうじゃないと、自分の存在する意味がわからなかったから。
三年生になって急に身体が痛くなり、特に腰。動けなくなり入院。そう、どんな検査をしても異常は認められなく、痛みが引かないのに痛み止めをとめられ、精神科に車椅子で本当に僕の意思関係なく無理やり連れて行かれたが、僕は治療、服薬拒否した。
そして自力で治して、高校も無事卒業し、準看護師の資格をとり、二年過程の専攻科に合格し、通い始めたそこで一年生の夏、忘れもしない、7月10日、初めて自分がおかしいと感じて自ら精神科に受診。診断名は「重度鬱病」後々、色んな検査をしていく内に「パニック障害」、「過食症」、「PTSD」、「過呼吸」、「自傷癖」、「OD」等々…大変な状況だった。専攻科は二年休学。その間に、60㎏程度だった体重が、100㎏近くまで増えた。勿論復学する時も病気は良くなっている訳でもない。毎日セルシンという安定剤を点滴しながらの授業参加、実習、勉強。それに二年耐えた。そして成績は自分で決めた五番以内を常に確保。そして無事卒業し、看護師の国家試験も一発合格。そして自分の産まれた病院に就職。公務員だった。でも二年で辞めた。田舎だから友達もできない、皆都会へ出ている。だから僕も石川県の首都金沢へ。かなり厳しい病院、そして精神的、肉体的負担。3ヶ月耐えたけど無理だった。その後実家に帰り、父の染色補正、紋入れの見習いをずっとしていた。そして、失敗するたびに辛くなる。着物を父が代わりに弁償してくれたこともあった。どんな仕事もきつい、それは当たり前。そして僕は都会へ家出同然で出てきた。その時の体重は111㎏。雇ってくれるような仕事はないだろう、でも、大好きなお洒落や化粧を楽しみながらも、おデブちゃんでもお洒落が楽しめることを皆に教えるのが自分の使命だと思い、LL~4Lまで展開しているshopのshop店員を一年半程した。けど、やはり、看護師に戻らなきゃ…と、でも僕はブランクがある。役に立つとしたら、老人ホームみたいな所。大体の医療行為はできるのだから。すぐに老人介護保健施設で働き始め、その頃にある精神科の先生と出会っている。要するに「僕は頭ん中が男か女かわからない。」と初めて話した先生。今は事故に遭われて診てもらえないが、先生は初めて僕に会った時からFTXだと気づいていたらしい。同じような子が数人その先生の所に通っている。僕はその先生に出会ってから、病気が劇的に良くなった。仕事も休まず、リーダーを任されるくらいにまでなった。まあ、頑張りすぎて、体調を崩して、手術もしたり、その後も色々あり、中性で保っていた僕の頭ん中は男の子が90%位占めるようになり、生活に支障をきたすようになって、仕事を辞めた。そしてしばらく普通の精神科に通い薬を飲んで、そこに土曜日だけ来るGID専門医に診てもらうようになりやっと中性に戻った。それまではもう本当に大変な思いをした。そう、病気だと診断されてからもう約10年経つ。僕は今は本当に落ち着いている。そして影で支えてくれる人達。生かされてきた命。何か今までの経験を通じて、誰か一人でも、僕が今モデルを目指して頑張っている姿を見て、勇気や、希望、光を与えられたら…そして実際モデルとして活躍できるようになったら、過去の僕と同じような思いや、GIDの方々に元気、勇気、希望、何かしら役に立てるのではないかと、今頑張っている。モデルは中学生時代の時からの夢だった。夢を現実にできたら、「モデル」という仕事を媒体にするのではなく、「夢を叶えてモデルになった僕」を媒体に、色んなものを伝えていけたらと思っている。そう、今、今こそが僕の転機なんだ。だから、やる、時間はゆっくりかもしれない、必ず叶えてみせる。レッスン講師の厳しい言葉なんか苦にならない、自分が使えるモデルになるんなら、厳しい言葉、悔しい思い、辛いダイエットにも耐えてみせる。
努力はしないよりしたほうが必ず結果はでる。今できることを精一杯やろうと思います!皆さん、これからも、僕の応援宜しくお願いいたします!
by crea
P,S:決して僕は何でもできる、頭が良いとか、努力家だとか、自分を過大評価しない事を約束します。