僕は今日、父、母に向けてまた手紙を出した。以前はまだ死ぬか生きるか迷っている状態で、僕は生きていても、死んでしまっても迷惑をかける存在でしかない。生きている意味がわからない。という状態、どん底状態で両親に僕を産んだ事を後悔するだろう、情けなく思うだろう手紙を書いて送った。以前の手紙の内容は「私は今生きるか死ぬかの極限状態です。お金を工面するには体を売るしかありません。そんな私を娘だと思わないでください、死んだ人間と思ってください、死体は、家族だと、身内だと言わないで、どうか医科大生の解剖の献体にでも提供してください、もちろん葬式などしなくていいです。今まで育ててくださり、ありがとうございました」と、書いて出しました。今回は「以前に出した手紙を読んだかどうかはわかりませんが、私を産んだ事を後悔するほど私を情けないと思ったと思います、以前出した手紙から数日、色々なことを考え、お父さんからの手紙に書いてあった死ぬ気で頑張れを心に、辛い死ぬことより辛い生きる道を選びました。死んで迷惑をかけるんなら生きて迷惑をかけながらでも、なんでもできるはずだと、思いました。たった数日お母さんの声が聞けないだけで寂しい、独りになるってこういうこと。私が今こうやって生きているのは色んな人の支えがあったから。あのことを思い出しました。私が一番酷かったとき、幼なじみのマコちゃんが、過去三回も千羽鶴を私にくれました。計三千羽です。三千羽を心を込めて私が早く元気になるようにと、頑張って折ってくれているだろう姿を想像しました。そんな親友からの支えがあり、家族からの支えがあったから。こうやって私はまだ生きている。そんな生かされてきた命を易々と捨てることはできません。何度となく自殺未遂して、何度となく助かるのも、神様は「生きて苦しめ」というのではなく、「生きて人生を楽しみ、人の役に立ち、やるべきことをやりなさい」そう言っているのです。私はこれから何かをしていかなくてはならない、生きて人生を全うしなければならないと感じました。私は今、高い高いビルの屋上から飛び降りても命が助かる自信があります。
そして、独りになって感じたこと、私は大切な者達を失いたくないと強く思いました。お父さん、お母さん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、姉ちゃんの旦那や子供達、おばあちゃん、親友、友達、この大切なものを失いたくないと感じました。どうかまた、精神的に私を支えてください、私は絶対に死なない、死ぬ気で生きていきます。お父さん、お母さん、産んでくれてありがとう。沢山、沢山甘えてきた私を許してください、そして自分自身を甘やかせてきた自分に渇を入れます。また、会える日を待っていてください。」とこのようなことを書いて出しました。そう、独りと一人は違う。一人だったのはただ一人で暮らしてるそんな感じ、周りの支えを感じる一人。独りはただ、ただ、孤独。誰も頼る人も、支えすらない、それが独り。僕は独りにはなりたくないと本当に思いました。大切なものをこんな大切なことを感じるためだけに、父、母、姉を傷付けた自分は本当に情けない。憎らしい。でももう今の僕は違うはず。