今日、以前の職場のロッカーとか片付けて、SECOMCardを返してロッカーの鍵を返して自分の荷物を全て持って帰ってきた。
アパートのポストを覗いたら一番先に目に付いたのは父からの手紙。その他に光熱費の請求書が二枚。
部屋に帰って一番先に父からの手紙を読んだ。
29年間生きてきて、初めての父からの手紙だった。父も、もう身体はボロボロだ、母も身体はボロボロだ。一時期バブル時代に繁盛した僕の家。年収2000万位はあったと聞いていた。勿論父と母が一生懸命寝る間も惜しんで働いた結果のものだ。そして、小さかった僕の実家をでかく近所でも一番デカイ家にしたのが僕の両親だ。バブル時代は着物もよく売れただろうし、僕の家の仕事も繁盛したんだろう。でもバブルが弾けて、年収も年々減ってきた。僕が二十歳になった頃から母は看護師の資格を持っているから、パートで僕が産まれた病院で働き始めた。看護師なのにたった19万の手取り15~6万のパート勤務。最初は普通の看護師をしてたらしいが、やはり20年以上のブランクがある母はお風呂場で入浴介助や、他の看護師が出来なかった分野の雑用だ。入浴介助、してみれば分かると思うが、体力勝負だ。今59歳の母にはとてもじゃないがキツイ仕事に決まっている。父は給料は低いが、違う楽な仕事場を見つけて看護師として母を採用してくれる所に転職させたらしい。そう手紙に書いてあった。父も癌を患い、腎臓も片方機能していない。身体が辛いに決まっている。その上重度な障害者である兄の面倒を見ているのだ。父は僕に言うのも恥ずかしかっただろうに、今の年収を教えてくれた。正直、僕がもらっていた年収の半分位だった。僕はそんな父に自分が使って止まってしまって、代行会社まで情報が流れた約50万の金額を銀行やら親戚やらに頼んで借りて僕を助けてくれた。
手紙を読んでやりきれない思いになった。「僕はここで、こんな都会でいったい何をしているんだろう」と。仕事を一年足らずで辞めた僕を情けなく感じただろう、僕の今までしてきたことを情けなく感じただろう。涙が出てとまらなくなった。最後に「お父さん達はクレアを見捨てた訳じゃない、病気や障害なんかに負けるな!頑張れクレア!頑張って独り立ちするんだ!応援している」と書いてあった。
多分もう、父には会うことはないだろう。もう命は長くない。そう思ったからこうやって遠くにいる僕に手紙として自分の気持ちを残したんだ。僕は愛されてるんだと、嬉しいってより、凄く、なんか悲しくて虚しくなった。本当に僕はなんてことをしでかしたんだと。もう、病気だとか、障害だとかに甘えて居られない。新しい職場で、死ぬ思いで頑張って行かなきゃならない。