2019.9.3 夜22時頃
昨夜姉からの連絡で母幸子の末期ガン報告を受けた。
姉「結果から話すね。幸子さん末期ガンなんだって。
ステージ3。はい。質問をどうぞ。。」
私は洗い物の手を止め
あ、とうとう来たのか。。。そうか。わかった。。
姉も私に何と切り出そうか考えただろう...
と思いベットへ腰掛け話を続けた。
私「余命は?あとどのくらいなの??」
姉「先生が言うにはあと1年もたないって...でも幸子さん的には年内って本人は言ってる。」
私「部位は?何癌なの?」
姉「肺癌。」
母は昔からタバコのpeaceを何十年も愛吸していた。
黄色いパッケージの昔からある銘柄のタバコ。
姉は時系列で話を続けた。
1週間前に母から連絡が来て末期ガンの報告を受けたこと
母かかりつけの町医者から大きな病院へ回され、すぐに家族と来るように病院の先生から言われたこと
それでも母は「家族は居ないので。」と病院へ行ったが先生から直ぐに帰され、家族と来ないとこれからのことを話せない と言われたこと
訳あって私たち姉妹と疎遠だった母 は仕方なく姉へ連絡をしてきたこと
(私は母に新しい連絡先を教えていませんでした。)
姉が付き添って病院まで出向き先生から事情をきいてくれていたこと
母の希望は2点
延命治療はしない。 お金をかけたくない。
(これは昔からよく母が話していました。自分の母親を若くに癌で無くし、その時1日でも長く生きてほしかった。だから母はその当時自分の母へ延命治療をした。けれど時の経過と共に、とても苦しそうな自分の母親の姿を見て私は延命治療は絶対にしたくない。と思った。と...)何度も聞かされていました。
なので私たち姉妹は母の希望をすぐに理解し、受け入れることに全く抵抗がありませんでした。
肺癌特有の脳と骨に転移しやすいことから先生からは検査を進められたが、延命はしない。お金はかけたくない。という母の強い意向から検査はしないということ
ただ呼吸が苦しいからその薬がほしいと。。。
私はとても冷静でした。
ずっと前からいつかこんな日が来てしまうことを
色々な形で覚悟をしていました。
それは姉も同じだったと思います。
『一切の検査をしない。』とういう選択。
それはどこに転移しているか、していないか、それすらわからないということ
余命すらはっきりとできないということ
母はその形を望み
私たち姉妹もそれを受け入れた。
姉「病院で血中酸素濃度を調べてもらったんだけどね、数値が90だったの。私も数値は詳しく分からないんだけど、看護師さんいわく、病院で待ち時間があって90の数値だから動いたら恐らく80とか。。酸素ボンベが無いと苦しくて居られない位の数値です。ってさ」
母は昔から人一倍我慢強い人だった
相当苦しいのだろう...と思うと私の胸が痛くなった。
