皆様、こんばんわ(^_^)ノ

当ブログは、短時間でサクサク読めるように日夜、思考している所存であります。

・・て事で簡単ではありますが、今日も戦国時代を生き抜いた戦国武将ゆかりの寺をご紹介させて頂きます。m(_ _)m




その前に、JR木曽福島駅を降りてみると・・

中山道(木曽路)の宿場町を観光する事ができます。



中山道とは、江戸時代の五街道のひとつで江戸と京を結んだものです。
中山道は、木曽を通るので木曽路と呼ばれていました。

江戸時代は、参勤交代・大名等の輿入れにも利用されました。

参勤交代の為に訪れた各大名達は、豪華なおもてなしで迎えられたそうです。
理由は幕府に対して謀反を起こさせ無い為に、大名達にいっぱいお金を使わせる為でした。

そして・・中山道から外れて木曽川を渡り東へ進みますと



興善寺さんに到着です。 こちらに、木曾家のお墓があります。

山門です。

こちらが木曽家のお墓です。

右から木曾家十二代信道   中央が木曾義仲  左が木曾義昌・義康のお墓です。

木曽義仲は、治承4年(1180)平家追討の為に、北信濃で兵を集めて北陸より京に攻め入り平家を追討し、征夷大将軍となり朝日将軍と呼ばれました。木曽義康は、木曽氏十八代当主であり、木曽に福島城を築きました。そして十九代目の義昌は、武田信玄と戦い和睦し、信玄の娘である真理姫を奥方に迎えました。豊臣時代には、豊臣家の配下になり下総網戸(千葉県旭市)に移されて善政を敷いたと伝わります。
 

真理姫につきましては、8月4日のブログでも、ご紹介させて頂いてます。