皆様、こんにちわ(*^^*)
如何お過ごしでしょう?本格的な夏を感じさせる今日この頃です。(暑くて山城攻めも一苦労です。)本日は、諏訪・上原城のご紹介です。


天文10年 武田晴信は、父親である信虎を追い出して甲斐の領主となりました。
翌天文11年(1542)に武田晴信は諏訪へ侵攻し、諏訪頼重は上原城に火をかけて桑原城に撤退し、武田に降伏しました。


諏訪頼重の正室は、禰久(ねね)といい武田晴信の妹、つまり晴信は義理の兄となります。晴信は妹の嫁ぎ先である諏訪へ攻め、諏訪頼重は東光寺に幽閉され自害しました。


(上記の写真は、上原城の主郭部)

(こちらの写真は主郭からの風景です。)

(この大きな石は、物見石だそうです。)


諏訪頼重氏のお墓は、甲府の東光寺にあります。数年後に信玄の嫡男・武田義信も、こちらの東光寺に幽閉され自害しました。

ということで、暑い日が続きますが、史跡巡りをする際も水分補給は忘れずに😊

  捕捉 : 諏訪頼重には娘がいました、娘さんのお話しは後程と言うことで(*^.^*)

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