このブログでは、百人一首好きの私が直訳・意訳を通して自分ならではのオリジナルストーリーを綴っていきます。

 

こんにちは。アメリカでは、大統領選挙が続いていますね。そんな中私は、常々行きたいと思っていたケーキ屋さんに行けて幸せいっぱいです。上品なティータイムを過ごしました!!

 

 

さて今回は、

 

二八、山里は冬ぞさびしさまさりける

   人目も草もかれぬと思へば

   やまざとはふゆぞさびしさまさりける ひとめもくさもかれぬとおもへば

 

 

 

 
この歌を詠んだのは、源宗于(みなもとむねゆき)朝臣という人物です。「君がため〜」を詠んだお爺さん天皇、光孝天皇の孫にあたります。官位の昇進は遅かったのですが、歌人としては華やかに活躍した人物でした。
 
 
直訳を出すために品詞分解していきます。興味のない方は飛ばしてください!
 
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山里/は/冬/ぞ/さびしさ/まさり/ける/人目/も/草/も/かれ/ぬ/と/思へ/ば
 
意味のわからなかったものなどを挙げていきます。
 
1、「まさり」
動詞「まさる」の連体形で、現在の意味とは少し違い、「強まる。増える。」
 
2、「ける」
詠嘆の助動詞「けり」。
※和歌で使われている助動詞「けり」は詠嘆になります!
 
3、「人目」
人の出入りのことを指します。
 
4、「かれ」
動詞「かる」の連用形です。
ここでは掛詞になっていて、「人目が離れる(かれる)」と「草が枯れる」という二つの意味がかかっています。
 
5、「ば」
接続助詞で「〜すると」と訳します。
 
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これを踏まえて直訳を出すと、
 
「山里は冬こそ寒さがより強まるなぁ。人の行き来も離れ、草も枯れてしまったと思うと。」
 
いつもより意味が取りやすかったです!人もなかなか来ない山奥で、ひとり寂しく過ごしている様子が思い浮かびますね。冬の寒さがよりいっそう、そういった寂しさを強めているように思いますね。
 
 
 
この歌は山里での山家暮らしを抒情的に歌い上げています。しかし、天皇の孫にあたる宗于が実際に山里で暮らしたとは考えにくいですよね。そうなると、山里の印象をもとに都で作られた歌だと考えられます。
 
 
 
〈オリジナルストーリー〉
 
「最近はよく、自分が普通の身分ならと考えている。天皇の孫だからとチヤホヤされて来たが、官位は決して高くない。私がこの地位に居れるのは、後ろ盾があってこそなのだと痛感してしまうのだ。
もし自分が庶民の生まれなら…。きっと郊外の山里辺りで暮らしているだろう。家族と穏やかに暮らし、それなりに友達もいて育つのだと思う。けれど最終的には、結婚もせずひとり山の中で過ごしていそうだなぁ。いつの間にか、人々との交流も減り、冬の冷たさに人恋しくなるだろうか。」そんなことを考えながら、歌を詠んでみた。
なんとも寂しい歌だと感じた宗于は、
「そう考えてみると、今より幸せなのかはよく分からない。やはり人生は、元から用意された状況より、自分が選ぶ選択によって変わるのだなぁと感じた。」そんな宗于のある1日のお話であった。
 
天皇の孫という苦悩を抱えて生きて来た宗于が想像する、もう一つの人生を元に文章を書いてみました。歌の部分があまりメインにはならなかったのですが、こんな風に悩む中で自然にこの歌が詠まれたように感じました。宗于の想像で書かれた歌を、私が想像で綴っているのって面白いですよね。
 
 
今日はここまでです。ありがとうございました。
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(参考サイト、文献)
百人一首(28)山里は冬ぞさびしさまさりける 品詞分解と訳(2020年11月7日)
吉原幸子・中田由見子(1986-2004)『マンガ百人一首』平凡社.