俺の歴史2『天』新たな出発
つづき。
当時は本当にお金が無かった。
柔道の体育推薦で大学に入った僕は、授業料免除制度や、育英会からお金を借りて、親戚からも助けをかりて。
なんとか大学生活を送ってました。
体育推薦入学なので部活は休めなかったな~。そんで柔道部の部長となり。。。
夜は朝5時まで居酒屋。
朝は7時半から部活の朝練。
大学の授業。
部活。→予備校。→居酒屋Hubでバイト。
毎日寝不足で死にそうしたが。苦しくも、それが毎日楽しくて仕方がなかった。
この頃今のオハナのゴウが牧志店にいたか。ゴウが出す創作寿司が美味かった。
大学を卒業し、就職浪人しながらハブでバイトをして消防士を目指し予備校に行く毎日の中で。
叔父の出資で誠さんを代表に店をやる話が出た。
タツヤと僕と、
アルバイトで採用した現・Hub久茂地店店長エミリと
『フォレスト』というバーを立ち上げた。
四人で。
小さいが、カクテルと料理にこだわりのあるダイニングバーを運営していたあの日々は今でも宝物だ。
Hubの事務所兼寮にて、誠さんと、タツヤと一緒に住んでいた21才頃。
2000~2001年だったかな。。。
9.11テロとか。
沖縄サミットとか。オリンピックで高橋尚子が金メダルとか。。
ミレニアムとか。。そんな時代だったような。。
携帯画面が緑とオレンジから、カラーになって、写メが出来るようになった始めの頃。。ww
そして仲間はどんどん増えていった。
イケメンのなおとさんが愛知からきたな~。Hub牧志に。
フォレストでは、誠さんに料理を習って。
まずは仕込みをして。
暇な時はとにかく国際通りに行き、当時は誰も居なかったがキャッチをしていた。
とにかく時間が空けばキャッチ。ww
メニュー片手にチケット持って。毎日。
お客さんも仲間や家族みたいになっていった。
オススメメニューを作ったり。
営業メールをしたり。
色んなイベントしたり。
Hubグループの溜まり場になって毎日朝8時までばか騒ぎ。。
朝6時頃に閉まったら、泊漁港に魚を買いにいったり。
ランチ営業したり。
内装が気にくわなくてぶっ壊したり。
マーケティングやマネジメントなんて何の事やら。
とにかく不細工なりにも『楽しいこと』優先で何でも自分達でやった。
ママゴト と、言われてたとしても。
ソコで自由にやりたいことをさせてくれた叔父と誠さんに。人生を好きに選択させてくれた母ちゃんに感謝の毎日。
僕はソレを目一杯、傍楽ことで少しでも感謝を返したかった。。
そんな頃。
小橋川大介というイケメンが現れた。。。。
2002年。
日韓W杯。
稲本潤一がベルギー戦でゴールを決めていた。
そんな頃。
つづく
やっぱ続くんだ。