成功も失敗も紙一重だ | わがままジュリエット☆(札幌琴似メイド喫茶ジュリエットの代表日記)

成功も失敗も紙一重だ

87年の優勝争い真っ只中のシーズン終盤の出来事。

当時はまだ小学6年生だったのに鮮明に覚えている瞬間があります。

広島市民球場での広島対中日戦で劣勢の展開で回は終盤だった記憶が。

先頭打者の中尾がライト右に強烈なライナーを放ちましたが二塁打を欲張りセカンドベース手前でタッチアウト。

苦笑いでベンチに帰ってきた中尾選手にベンチ一番手前で待ち構えていた星野仙一監督が強烈なキックを浴びせていました。 しかもたしかNHKで全国中継だったのですが、とにかくびっくりしました。
たぶん、点差を考えろ!無理する場面か? 相手の守備位置や守備力は頭にあったのか? アウトになってヘラヘラ帰ってきてんじゃねぇ!的な感じだと思いますが、ヒット打って監督に怒られてるのは初めて見ましたね。 しかし、勝利への執念はヤバいほど感じました。

とにかく熱く、気迫を前面に出して戦う星野中日はすきでしたね。


前年まで2年連続5位と低迷していた負け癖のついたチームや負け犬根性を叩き直したシーズンでしたね。


覚えている方もたくさんいると思いますが、星野仙一監督就任早々に衝撃の1対4トレードがありました。


現中日監督の落合博満を獲得するのに4人の選手を放出しました。中にはセカンドレギュラーの上川と抑えの牛島も…


特に牛島投手は現役時代の星野仙一をかなり慕っていましたし、キャンプでも相部屋だったはず。


星野仙一の監督就任でかなり闘志を燃やして監督のためにやってやると一番思っていたはずの選手をいきなり放出するという非常さ…


当時の自分にはまったく理解できなかったのですが、今思えばあれから中日は強くなっていったと思いますね。


あの時の中日には絶対的な4番打者がどうしても必要だった。 そしてその打者を獲得するにはそれなりの選手をロッテに出さなければならない。


一番可愛がっていた牛島投手だからこそ最後はわかってくれるという確信も星野監督にはあったはず。
その年は2位。翌年優勝。
それ以降も中日は毎年優勝争いに絡む常勝球団になりましたね。 そして落合博満は現中日監督として常にAクラス入りで優勝2回、日本一一回。(今年はたぶん逆転優勝!)


牛島投手もロッテでセーブ王2回。
横浜の監督も2年間やってましたね。



やはり思い切った大胆な革命、改革は大事なのかもしれませんね。