今までこのブログには
かっこわるいことやダメなことは極力書かないようにしてきた。
だけどあの失敗があったから今の自分があると言える失敗を
あたしは抱えている。
そしてその失敗とともに
あたしを突き動かしてくれることばがあったことを
今も胸のなか大切にしまっている。
その一つを告白したいと思う。
今振り返れば、
あたしがやった
否
成功したなぁと思えるバイトの
共通点はただ一つ。
「ゴハンがついてくること」だ。
私にとっては
「ゴハンが出てくるバイトをすること」は
「金を貯めること」
「仕事を円滑にすすめること」
の基本にある。
第一に食費が浮く。
第二に食事をすることで仕事が本当にうまくいく。
だからあたしは、
仕事と食事がともにあるバイトが大好きだ。
水商売はもちろん、
接客中フードを頼んだり
同伴すれば
自分にバックがあるし、
お腹もいっぱいになる。
お客さんとの仲も深まるし、仲がある程度深まれば、仕事もしやすくなる。
まぁそれは当たり前。
家庭教師の依頼がきたら、
「ありがとうございます」の次に必ず、
「勉強の前かあいまに、家族で食事をする時間を
作っていただけるのであれば引き受けます。」
と言うようにしている。
「食事をする姿を見ること」は、
「日常を見ること」だと思っている。
(旧日記「こどもをみること」
、「逆境」参照)
あたしは、食事をしながら
「夫婦仲がどんなか」、
「それを子どもは
どのくらい敏感に
キャッチしているか」、
「こどもはどのくらい
親に影響を受けるか」
「この家ではこどもに
どの程度の躾をするか」
「こどもは親をどれくらい 信頼し、尊敬しているか。
期待にどのくらい本気で 答えようとしてるのか」
を必死に観察する。
そこで、親御さん、
こどもさんに対して
別々のアプローチをかける。
すると
親御さんは小さなことでも相談してくれたり、
報告してくれるようになり、
私自身もこどもの小さな変化に気付きやすくなるので、
深い信頼関係を築くことができる。
私は
Nたんと当時の恋人
ち-たんにしか言わなかったけれど、
大学2年のとき、一度
家庭教師をくびになった。
私の初めての失敗だった。
自分が「食事」を
家庭教師の仕事に取り入れる前のことだ。
自分に実力が無かったと今でも自覚しているが、
当時は本当に悔しかった。
理科を教えることができず、私は夏休み実家に帰省する際
「夏休み明けのチェンジ!つまりはクビ」
覚悟で
理系大学教育学部の人を
自分のピンチヒッターとして送り込んだ。
私が受け持った当初、生徒に教えてほしいと言われた科目は
「英語と数学」
どちらも教えて1ヵ月後には70点台が90に届くようになった。
すると70点台をうろついている理科に今度は目が行く。
しかし残念ながら
あたしは理科だけは教えられない。
だからこそ
「夏休み明けのチェンジ!」
覚悟で自分ではない人間を送り込んだ。
理科以外の科目なら教えられるあたしと、
理科も他の科目も教えられる
ピンチヒッターの彼とでは
勝負は戦う前からついている。
だって生徒は理科が苦手なんだから。
あたしは覚悟はしていたけれど、
夏休みが終わっても
「クビ」の通告が会社からも
親御さんからもないので、
親御さんに電話をした。
いつもは電話に出る
お母さんが電話に出ず、
お父さんが気まずそうに電話にでた。
そして私に
「ちょっと待ってくださいね」というと、
電話口のむこうで、
「オイ!おまえかわって先生になんかいってくれよ!
何て言えばいいんだよ!」
と言ったのが聞こえた。
そしておかあさんが、
「あたしはかわりたくない」
という旨のことを言ったのも聞こえ、
「またかけますね。」
と言われ電話はきられた。
電話がかかってくることはなく、
変わりに会社から
「チェンジ=クビ」が通告された。
あたしはクビになったことが
悔しかったのではない。
自分が親御さんと信頼関係を
築けていなかったということが悔しかったのだ。
信頼関係を築けていたと
思い込んでいた馬鹿なあたしは、
たとえクビでも、
それを親御さんから伝えてもらえるか、
もしくは会社に手回しをして連絡をもらえると思っていた。
(本来はそういうシステムを使うのが筋なので。)
だけどあたしは、
「あさって授業だよな」
という日になっても連絡をいただけなかった。
あたしは渡すはずだった
実家からのお土産を捨て、
愛するち-たんに電話をした。
「悔しい」と泣くあたしに
夜中仕事を終えて駆け付けたち-たんは言った。
「おまえが思ってるほど都会は甘くない。
実力がなければきられる。それも当たり前。
ただお前ね、
お前はそんなことで泣いてるんじゃねぇだろ。
人の冷たさに泣いてるんだろ。
だけど残念ながらみんなそんなに優しくねぇ。
それもこっちじゃ常識だ。
だけどな、そんなに悔しいなら
お前にしかできない形で
その家にとってなくてはならない先生になれよ。
そうすればお前は絶対
こんな悔しい思いをすることはねぇ。
それからな、そんなに悔しくて泣くんなら、
自分はもっとできるって
思って泣くんなら、
本当にできるってところを
数字で出せよ。
まわりに認められる形でな。」
あたしはそのことばを聞いて、
塾で働くことを決意した。
数字をだすために。
実力を磨くために。
それと同時に、
水商売をあがることを決意し、
会社を通さず、
私個人で
仲介料をとらない
「食事付が条件の家庭教師」
を一人ではじめた。
自分の好きなように、仕事をするために。
子どもと、そして親御さんと信頼関係を築くために。
あたしは生徒を泣かしたり、
親御さんと言い合いをすることもあった。
だけど必ず
「来週も待ってます」と言われるようになった。
「先生、あの子のこと支えてくれてありがとう」
といわれ、
「いつもくだらない相談ばかりしてすみません。」
と言われた。
小さな信頼を食卓の中で築くことを学んだあたしは
「教員採用試験に集中したいので、今年度一杯で家庭教師をやめさせてください」
と自分から伝える頃には
「やめないでください、
試験が終わったらすぐに
戻ってきてください」
「先生が勉強に疲れたら、
ゴハンだけでもいいから
いっでも食べにきてね」
そう言ってもらえるようになった。
先日の地震の際には
「ご実家は大丈夫でしたか…」と暖かい心配の声を届けてもらった。
一念発起してはじめた
塾の仕事では、
一年目にして県ナンバーワンをとらせてもらうこととなる。
(旧日記「学校」参照)
格好つけて
いいとこばかり見せて
歩いてきたあたしだけど
人に知られたくない失敗や
やっちゃったなぁと思うこと
思い出したくないくらいダサい失敗も
今までたくさんした。
だけどあの日があるから
今の自分があって
じゃなきゃ今も
中途半端な仕事しかできてなかったと確信してる。
「教師という仕事が
自分には
むいてないんじゃないか」
と本気で悩んだ回数は
数えきれない。
自信満々で挑んだ実習中も
2回くらいそんなことが
頭をよぎった。
だけど失敗のたびに
新たなことを学んで
いろんな人に助けてもらいながら
前にすすめる。
そう思ったら
失敗ってやつは
かっちょ悪くなんかないなぁと思い、
とことん前向きに
生きようと思った。
以上。
あの日励ましてくれた
Nたんとち-たんに感謝しながら。
ララィ。