ものすごくお久しぶりのまりあです。
心がワサワサするような感覚を味わう中で思い立ってだいぶ以前に別の場所に投稿した文章を再掲します。

どこかの誰かの想いに届きますように—。

---2011年 mixi年末のご挨拶より—

毎年この時期の日記には、

「今年こそ去年より穏やかにって決意するのに、結局また波乱万丈f^.^」

みたいなことを書いているような気がするのですが…。


今年もまた人生の荒波サーフィンぶっちぎりな一年でした。


清水寺で発表された今年の一文字は「絆」だったそうですが…。

私にとって、2011年は「絆」ももちろん大切だったけれど、それ以上に「命」という言葉の意味を思い知らされた年でした。


ぶっちゃけ途中、

「『生きる』か『死ぬか』って、選択肢があったとき、なんで、常に『生きる』っていう方が正しいって判断されるのか、分からない」

ってところまで、深く悩んだりもしました。


そんなことを考えてしまう自分の頭がおかしいんじゃないかってとこまで悩み抜いた果てに、心療内科→大学病院の精神科って、あれよあれよと回されて…、もはや、ヤバいんじゃないか?ってところまで追い詰められているのかと思っていたら…。


いろいろ&もろもろ、頭の中まで、きっちり&しっかりお調べいただいた結果…。

精神も身体も「病んだ」状態なのではなく、「あまりにも多くのことを抱えてしまっているせいで、一時的に出ている症状」ってことで、病名もつかず…。

「どんなに健全な人間でも、そんなにも多くのことを抱えていたら、君のようになって当然」

って、妙なお墨付きをいただき…。

「『医療』よりも、『公的な機関』の方が、今の君の力になれると思う」

って、先生のひとこと。

途端に目が覚めた…というか、覚醒したような感覚に…。

私自身が「おかしい」状態じゃないんだ!って妙な自信を取り戻し(笑)、今日に至っております。


相変わらず次々と押し寄せる荒波に、たまに飲み込まれそうになりながらも(※実際、一時的に飲まれていたのだと思います)、呆れるほどのポジティブ志向で「一度きりの人生、波乱万丈したもん勝ち♪」だって頑なに信じて、たくましく日々を過ごしております。


大切な誰かの命が危ぶまれるような事態に遭遇するのは、とても恐ろしくて、眠れなくなるほど心配なことです。


大切な誰かの命が失われていく瞬間に寄り添っているのは、とても哀しくて、耐え難いほどの傷みを伴うものです。


大切な誰かが自ら命を絶つのを間近で体験するのは、とても辛くて、購えないほどの苦しみが襲い掛かってくるものです。


そういった想いを、私自身にとっての大切な誰かに感じさせてはいけないのだと、改めて感じました。

だから、「生きる」ことを選ぶのが、やっぱり「正しい」のだと…。


人生は「イイコト」ばかりで構成されているのではなくて、むしろ、たくさんの「ワルイコト」の合間、合間に、「イイコト」のエッセンスが散りばめられているものなのかもしれません。

もしも、今、あなたが、辛くて、苦しくて、長く果てしない闇のような「ワルイコト」のトンネルに囚われているのだとしても…。

「生きて」歩き続けていれば、必ずいつかはその先に光が見えます。「イイコト」が訪れます。


その瞬間を大切な誰かとともに分かち合い、幸せな笑顔を交し合うために…。

人は命を紡ぎ続けるものなのかもしれません。


生きていてくれて、ありがとう。

私と同じこの時代に、あなたが存在していてくれたから…。

2011年が終わろうとしている今、儚いからこその「命」の重みを感じています。

来年も、この「命」を紡ぎ続けながら…。

かけがえのないあなたと、たくさんの同じ瞬間を過ごせますように…。


そして、2011年という年に…

失われていった「命」のひとつひとつにもまた…

限りなく、安らかなご冥福を祈りつつ…。