伊藤亜紗さんの
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
を読みました。

この本を読むきっかけは
まずは私が買ったヨシタケシンスケさんの絵本
『みえるとかみえないとか』から始まります。


ヨシタケさんの作品は好きで
新作は必ず本屋で立ち読みしてました☜おい
でも『みえるとかみえないとか』は
初めて購入したくなり買いました。
何度も読みたいと思ったのと
家に帰って旦那さんにも
この本を見て欲しいと思ったのです。

そんな私はこの絵本を買って
完結するものだと思っていました。


それからほんの数日後のある日、
リハビリで(今でもサイバーダイン通ってます)
先生にオススメの本を聞いたら
視覚障害者について書いた本が
すごく面白かったと、
今回の本を教えていただきました。
しかも、たまたま数日前に私が買った
ヨシタケさんの絵本は
伊藤亜紗さんの本に影響を受けて
できた作品だということも
先生から教えてもらいました。


絵本を買ったばかりの私に
そんな運命的な本を紹介してもらい
すぐに図書館で借りて
読み始めました!


序章の
美学、生物学、身体論について
語られている部分には
真顔真顔真顔滝汗滝汗滝汗滝汗滝汗滝汗真顔

読む前に想像していた本の内容と
だいぶ違っていて混乱。

とりあえずこの本は
【福祉関係の書物ではなく、「見えない」という特殊な身体についての身体論】ということが序章で明確に伝えられています。
 
そして
障害者を助けるのではなく違いを面白がることから、障害に対して新しい社会的価値を生み出すことを目指すという目的を持っています。



ここからは私自身も
見える見ないということが素直に面白い!
と思ったところをいくつか載せておきます

 



52ページの
私が情報を使っているのか、
情報が私を使っているのか。
これ結構ハッとしました。

例えば
喉が渇いたから自動販売機を探して水を買った。
自動販売機を見つけて喉が渇いたなと思って水を買った。

前者は自分の意思。後者は情報からの影響。

電車の中やホーム内、
商業施設やスーパーの中、
都内に行くとビルや道に大きな広告。

とても情報に溢れています。

自分で意思決定して
『あっちへ行こう』『これを買おう』と
決めているつもりでも何かの情報をきっかけに
行動しているかもしれないということ。

これって情報社会の現代ならではだなぁと。

この本とは関係ないけど
『情報管理型権力(アーキテクチャ)』
という言葉があります。
これは、
人々は支配されていることを知らずに
自ら楽しんで生きていると思いながら
権力に操作されて生きる社会のことです。

☝︎これって誰も不幸じゃないけど
怖いですよね。情報社会のすごいところ。
この言葉が出来てしまった現代にも衝撃。

本の話に戻りますが、
視覚障害の人はそういった視覚的な情報には
踊らされません。
買い物をするときも
目的に直行するそうです。


これを読んでから
情報を遮断することで
自分の買い物時間を短くできました!笑
見えるけど見ないようにするという遮断です。

図書館に行くときも
事前に借りる本を決めていけば
早く終わるんですよね。
私、気づくと仕事終わりに図書館寄って
図書館の閉館時間までいたことあります。笑


この本から情報社会に
まんまんと踊らされている自分に気づけました。





75ページ、77ページの
表は裏、裏は表
内と外は等価
見えない人にとってはそうなのかと
面白いと感じました。

目が見えない人には死角がなくて
「視点がない」ということを
理解できた瞬間でした。

☝︎どういうことかというと、
目が見えない人にとっては
太陽の塔がどちらが正面なんてありません。
ミニチュアの模型を触って
情報を得ているので
正面も裏側もないのです。

それ比べて私達は
人型をしている太陽の塔には上に顔があり、
上に顔がある方を『正面』と認識しています。
これは自分の視点があるからこそです。
自分が見ている正しい面が『正面』。
その反対が『裏側』。

同じように見えない人に
内側と外側という概念もありません。
盲学校の授業で生徒に粘土で
立体を作らせたときに
内側に模様をつけたというエピソードに
納得しました。

見える私にとって
『内側に模様をつける』
という発想が斬新で面白かった!
なんか色んなものに使いたくなってきた!
創作意欲が湧いてきます!!






86ページ
「すごい」という背後には
見えない人を劣った存在
とみなす蔑みの目線がある

すごい=「障害者は健常者にできることができないはずなのに」と無意識で考えているから出てしまう言葉ということ。
無意識=本人には蔑むといった意図は全くないということ。


私も障害者なのでなんとなくわかる。
『車椅子なのに〜すごい』と
言われる場面はあるけど
嬉しくないんですよね。

最近で1番イラっとしたのは
仕事中にお客さんに
「歩けないの?」と言われて
『そうです』って答えたら
「へぇ歩けなくても結婚とかできるの?」
って聞かれてイラっとしたけど
『はい、最近結婚しました』
って笑顔で即答。
そしたら
「へぇすごいね。」
って言われた。
これは完全にナメてますよねムキー
もう質問に答える必要もなかったわ!!
この時の「すごい」は完全に見下してる!!!
ていうか完全に障害者差別です。


視覚障害の方も目が見えなくても
目当ての本を背表紙の質感で
探し当てるそうです。
それを「すごい」と思いがちですが
作者の伊藤さんは
「面白い!」
という言うようにしているらしいです。

「自分とは全然違うアプローチで達成しているのですから。ヒラメキを得たような感触。『面白い』の立場にたつことで、お互いの違いについて対等に語り合えるような気がしている」そうです。


それを読んで
私自身障害者として望むことは
対等に接してもらうことなんだなぁ
と改めて言葉にして感じました。
障害抜きでひとりの人間として見てほしい、
それか障害も個性として見てほしいです。



135ページ
自立とは依存先を増やすことである

これは脳性まひの小児科医である
熊谷晋一郎さんの言葉だそうです。

自立は依存先をゼロにすることだと
思いがちですが、
さまざまな依存可能性を
うまく使いこなすことこそが
障害者の自立であるということです。


私自身、
依存という言葉自体が
ネガティブなイメージだったのですが
「周囲のサポートをうまく生かす(=依存)」
ということは自立なんだと思ったら
少しだけ気持ちが楽になりました。



210ページ
障害者基本法について

私は障害者のくせに(笑)
この法律あまり興味がなくて
今まで知らなかったのですが、
何度か改正されているんですよね。

その中でも平成23年改正で
障害者の定義が変わったことが本書で
取り上げられていました。

改正前は
身体障害、知的障害又は精神障害があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。」と障害が限定的で個人に属していたが、
改正後の定義は
障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの。」となり障害の原因は社会にあるとされたのです。

「医学モデル」から「社会モデル」の転機
というらしいです。
この改正は性同一性障害のように、
従来であれば「障害者」に
含まれない者についても、
広く同法の対象とされることになったそうです。

とても勉強になりました。




また
「障害者」の表記について
 
世間がいろいろ迷走しているこの表記
「障碍者」「障がい者」「障害者」
今ブログ書いてて驚いた!
変換の候補に上の3つ全部出てくる!びっくり

地方公共団体は「障がい者」を
採用しているところが多い気がします。

内閣府は平成22年に
当面「障害者」を用いることとし、
今後も検討していくことを
発表しているようですね。

私個人的には「障害者」に賛成。
千葉県の熊谷俊人市長が
「障害者」とは「社会の障害」でも
「身体に障害を持つ者」でも無く、
「社会との関わりで障害に直面している者」
の意味で、その障害を一つひとつ解消
していくことが私達が求められていて、
「障害」の言葉が引っかかるからこそ、
社会的に解消しなければならなく、
表現をソフトにすることは、
決してバリアフリー社会の実現に
資するものではない
とおっしゃってひらがなとの交ぜ書きである
「障がい者」表記に反対されているんですよね。


私はこの意見に納得したこともあり
「障害者」表記に賛成しています。





この本は、視覚障害に対して
へぇ!そうなんだ!
と新たな発見ができるものになりました。
そして視覚障害者に限らず
障害者全体的な考え方についても
勉強になるものでした。

また五感である
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚は、
音の反響を聴いて壁が近くにあることを見ることができたり(聴覚で見る)
触ることでどういう形なのか見ることができる(触覚で見る)。
五感の使い方は決まっていないんです。
それがまた面白いなと思いました。
何かアートな発想へのヒントが
あるように思います!



そして障害を面白がるという
新しい発想こそが
伊藤亜紗さん、ヨシタケさんの
文章や絵本にとても活かされていました

私はこの本に出会えて良かったです照れピンクハート