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今日は私的な兄の事です 

興味のない方はスルーして下さいね

魂魂魂魂魂魂魂魂魂魂魂



私には5歳違いの兄がいる。

年が離れていて男と女なので仲良しではなかった

兄は小さい頃からヤンチャで大人になっても変わらなかったグラサン

身長も大きくて大柄ガーン

すっごい亭主関白プンプン

スーパーになんて1度も行ったことがないんだって滝汗

上げ膳据え膳で義理姉が全てやっていた目

お水でさせ自分で入れた事はない叫び

トライクと言って1000cc?詳しくわからないがサイドカーがついたバイクに電飾をつけたりした物を何台も所有して、そのグループで日本中、義理姉を乗せて走っていた18禁


短気ですぐに大声で怒鳴るムキー

義理姉の家族も何度も怒鳴られたって言ってたガーン

でもものすごく義理姉思いで、義理姉は幸せだったらしいおねがい



私は1度も兄に怒鳴られた事はないが爆笑


兄は10年前 直腸癌でステージⅣと診断されたショボーン

5年生存率は20%と言われたえーん

OPは成功したが、転移を繰り返し何度も何度もOPをして、ありとあやゆる治療をしたショボーン

陽子線やラジオ派 抗癌剤に放射線悲しい

でも くじけない強い人だったびっくり

出来うる治療は全てやり、仕事も足が動けなくなるまでやっていたびっくり

働き者だった 治療中もずっと仕事をしていたおねがい

自分の弱さを見せない意地っ張りでみえはりなんだグラサン


そんな兄の

担当医がすごい人で、

母の時と同じ医師だった

医師「あなた 畳の上で死にたいか病院のベットで死にたいかどっち?」

と 母は言われくじけまくりさすがのポジティブな母も泣いていたえーんプンプン


兄はそんな担当医が自分の時も担当で

「あの先生でよかったよ。自分の命の期限もちょくちょく行ってくれて、仕事も片付けたしほんとによかったよ」

と言ったガーン

兄は石材業をやっていたので自分の命の期限をいつも言われていて、後半年とか3ヶ月位とか今年一杯位とか言われて、工場を売ったり、かたをつけたりと心残りなくできたんだそうだ滝汗笑い泣き

借金もないし自分の死後の事、葬儀に至るまで そして残された義理姉が一人で生活していけるだけの物を残し、寂しくないよう1人でご飯を食べられるように義理姉に1人で食事をさせて寂しくないよう練習させていたんだそうだ愛飛び出すハート


そして昨年 とうとう脳に転移し在宅看護から緩和病棟に入院ショボーン


担当医が病室に来て、(年末までの命だって言われていたので)

医師 「まだ生きてたの びっくりだね。とっくにあの世に行ってるかと思った」

と言われたたそうだムキー

義理姉はそれを言われた時、「あー お父さんは癌に勝ったんだな」

と思ったと。

そう言えるのがすごいのか、言われて受け止められるのがすごいのか?

10年間の戦いがあったからこそだと思うが笑い泣き


緩和に入院して病院

最後の頃は、 妹である私に会いたがり、何度も電話しろって言っていたそうだえーん

なんせそんな兄だから、親戚や友人 仕事関係に至るまで誰とも会いたくない滝汗

弱った姿を見せたくないと家でも病院でも、誰にも教えなかった滝汗


私が面会に行くと

「来てくれたのか〜 先生が来て、もう2〜3日だってよぉ〜」

苦笑いしながらと言ってたえーん


看護師さん達もびっくりする位、覚悟ができていた。

死ぬのは怖くない 出来る事は全部やった

と言っていた!!

今まで頑張ってきたから俺に絶対頑張れと言うなと言っていたと。

毎日会いに行ったが毎日悪くなって行ったガーンショボーン



私が会いに行って 

「また明日来るから待っててね」

兄は

「あ り が と う」

あまり出ない声を振り絞り言ってくれたえーん

私が聞いた最後の言葉だったえーん


3/2 午前2:40 永眠


こんなに悔いのない人生を私も送れるのだろうかはてなマークはてなマークはてなマークはてなマーク


今年は大殺界の年だゲッソリ

海もいなくなっちゃって兄もいなくなったえーん

明るい日がなかなか来ないぞ泣




   兄ちゃん〜

   長い月日頑張ったねぇ

   本当にお疲れ様でした