もしだんなさまが味方になってくれて
体調が悪ければ今日は休もう、
或いは、
たまには二人で出掛けて気晴らししよう、
と言ってくれていたら
こんな風に思ってもみなかったと号泣することには
ならなかったんじゃないかしら、と思う。
それとも
自分も苦労したんだから
同じように息子のお嫁さんだって大変な思いをすれば良いのに、
と思ったのかなあ。
それじゃ、誰も幸せにはならないよね?
だんなさまが
あの時 苦しかった時に自分を守ってくれたから
頑張ることができた、
苦労はしたけど幸せだったよ、ともし言えないのであれば、
(そこは書かれていなかったのであくまでも私の憶測だけどね)
息子さんが
同じような人生を選択するはずはなかったよなあ。
舅が生きていれば激怒したと思う、
と書いてあったのは
本当はご自身のお気持ちなんだろうな、と思いながら
投稿を読み終えました。
とすると、
この方が、若い時分に今日は具合が悪いから
横にならせて欲しいと申し出ることは
舅・姑、周囲の人にしてみると
単なるわがまま、ということなのかー・・><
でね、
私は家事ができなくなったでしょう?
だんなさまから見ると
よく2階で横になっているだけの奥さんなわけで。
できない~、
気持ち悪い~、
音がだめ~、
光も~、
と言い放題。
確かに病気のせいではあるけれど、
一緒にいるだんなさまは
時々いい加減にしろ、と言いたくなるだろうね。
ほんと申し訳ない気持ち。
でも、
母が作りたいものだけ作っていればいいじゃない?
とLINEで書いてくれたように
誰か一人でも
自分のことを理解してそれをOKとしてくれるのであれば
わがまま=私の在るがまま、
という言い換えができそうになる気がするわ。
身勝手な言い分ですが。
できることはやれば良し、
できないことは助けてもらえば良し、
できないことはできない、と言うべし。
できない、と言う相手がいてくれるありがたさよ。
もうわがままに生きよう、(十分わがままを通しています)
と少しずつ思い始めています。
来年は還暦になることと
郵便代の値上げのニュースを聞いて
年賀状はごくごく身内のみとし、
今年限りで終い、と決めました。
お付き合いする人数をぎゅっと絞っていく、
これは私自身を守る為。
そうすると 不思議だけど、
また新たに何かを始めることができるような気持ちにもなれたよ。
前述の投稿者の方は
何十年も頑張って来たことを
苦しかったことを
だんなさまに一番わかってほしかっただろうなあ。
自分の気持ちを押し殺して当たり前、
とても辛かっただろうなと思います。
(記憶している言葉は違うかもしれないけれど!)
誰か一人でも幸せになれるようにする為には
自分が幸せになることを選択するのが
一番手っ取り早いということ。
ブログのお友達が
苦しい状況の中で 華麗に踵を返して
方向転換をなさったことをいつも思い出します。
本当に鮮やか過ぎる選択でした。
かっこ良すぎる!
よし、私も
わがままで行くぞー。
はい~!(やすこ風)
鍋買いました。
真っ赤ですごく軽い大鍋です。
カレー、
シチュー、
カレー、
シチュー
カレー、カレー、カレー。
カレーなら作れるもん!
私はカレーな転換、で、GO!GO!
なんかオチが
こんなですみません。