テニス講習会で大阪の近畿大学附属高校出身の若者に出会い、大阪時代の仕事でよく行った高校だと話しましたが、急にその仕事であったいろいろな事件?を思い出してしまいました。


 24歳から62歳になるまで勤めた会社は、中学校教材の作成と入試の模擬テストを作成、実施をメインに行っていました。私が入社したときは、そのほかに塾経営や学校からの印刷物作成も手掛けていました。


 模擬テストのメインは中学3年生対象の高校入試に備えるもので、ほぼ毎月、私立高校や予備校などを会場にして行っていて、志望校決定する時期の11月回では、数万人の受験生がありました。


 そのテスト会では、全社員が大阪や奈良、和歌山の会場に出向き、監督アルバイトを指示して、運営します。


 その中で、いろいろなアクシデントがありました。いくつか紹介します😅



その1

 枚方の高校会場でのこと。

 テスト会が終わり、会社に戻り、残務整理をしていたとき、保護者から電話が入りました。

「うちの子どもが帰宅してない」と。

なんでも大阪市内から京阪電車に乗り、枚方まで行って受験したはずなのに戻らないという連絡でした。調べると、その受験生は確かに全科目受験していたことがわかりました。受験会場が志望校だったので、近くの大阪市内に別の会場があったのですが枚方まで来たとのことでした。

 会場を出てからの足取りなんて、わかるはずがありません。当たり前です。

 その後も保護者と警察と電話でやりとりして、警察で捜索してもらう手配もしました。

 私は会社に待機して、状況を見守るしかありません。

 すると夜遅くに、旭区の交番にその受験生が保護されたと連絡がありました。お腹が空いて、交番に駆け込んだんです。

 なんでも帰りの電車賃を忘れ、枚方を流れている淀川に沿って行けば大阪市内に着くと考え、歩いて帰ろうとしたのですが、空腹に負けたことがわかりました。私はホッとしましたが、帰りの電車賃まで配慮するの? 仕事はつらいなあ😓

(後日談)

 その行方不明になった受験生ですが、会場だった枚方の志望校に合格しました。高校の先生もこの事件を知っていて、連絡をもらいました。

「元気にラグビー練習しています」

と。その高校はラグビーの強豪です😄



その2

 阪急十三駅近くの予備校でテスト会をしたときのこと。

 これまた試験が終わり、会場で答案の整理や備品を車に乗せているときでした。お巡りさんが会場にやってきて、

「ゲームセンターで恐喝があり、中学3年生が3人保護されました。すみませんが交番までご足労願えませんか」

と言われました。

 驚いてすぐに行くと、顔に傷を負った中学生3人が座ってました。

 私は、予備校でのテスト会の時間経過や終わった時間など、署員から聞かれたことだけを説明しました。そして、座っていた受験生に、名前などを聞こうとしたところ

「ここからは私たちの仕事ですから」

と署員に遮られ、帰らされました。

 受験生が心配でしたが、取り調べとはこんなもんなのかなと感じました。今後、受験生には、ゲームセンターなどに立ち寄りしないで帰るようにと言わねば、、、難しいなあ、😓



その3

 テスト会が終わると、すぐに受験生全員の答案を採点者に運びます。数万人の答案の採点をミスなく、そして素早くするために、採点は外部の採点者グループにお願いしていて、そのグループのリーダー宅へ運ぶんです。

 入試直前のテスト会のときでした。いつものようにテスト会が終わり、採点者リーダーに答案を届けに行ったときのことです。

 リーダーの家は千里中央で、新御堂筋を車を走らせていました。すると突然すごい衝撃が走り、真っ直ぐ走れなくなりました。タイヤがバーストしたんです。

 幸い、近くにほかの車が走っていなかったので、なんとか減速しで路肩に止まりました。場所は中央環状線下でした。車から降りてタイヤを見ると縦に裂け、ホイールもガタガタになっていました。当時の商用車は予備タイヤを積んでいたので、すぐにジャッキを出して、タイヤ交換をしました。それはそれは寒い日でした。

 何はともあれ、答案が無事でよかったと思いました。

 翌日、タイヤがパンクしたことを会社に報告し、上司からは無事で何よりだったと言われました。しかし、当時の車管理責任者の部長から、

「ホイールまで使いものにならなくなったじゃないか」

と注意されました。もしかしたら死んでたかもしれないし、もー腹が立って😤、泣きたくなりました。必死にタイヤ交換したのにね、、、



その4

 これまた冬のテスト会のときで、車のタイヤ関連です。

 テスト会当日が大雪の天気予報でした。

 テスト会では前日に問題用紙や備品を車に乗せて会場に行き、教室案内掲示をしたり、本部となる教室で当日すぐ始められるように準備します。

そして再び会社に戻り、最終確認をしてからほとんどの社員は車で帰宅します。

 このとき社用車すべてノーマルタイヤでした。道に雪が積もったり、凍結したりしたら、車が出せないし、会場にも行けません。しかし、受験生が来て、社員が来てないとなったら、それこそ大問題です。

 そこで何としても会場に行くための手段の一つとして、タイヤにチェーンをはかなくてはならないのではないかとなりました。通行止めになるかもしれませんが、出来る準備はこれしかありません。しかし、チェーンなど付けたことがない社員ばかりでした。大阪暮らしではまず必要ない作業です。

 当時のチェーンは今のようなゴムチェーンではなくて、すべて鎖です。付け方にはジャッキアップしてやる方法と、車を広げたチェーンの上に移動して付ける方法がありますが、ジャッキアップなどしたことのない社員ばかりで、安全性も考えたら後者の方法しかありません。しかしやり方がわからない。誰か知っているものはいないか、ということに。

 群馬のスキー場に行くとき、関越トンネルに入る前とあとで何回もチェーンの着脱していたので、私は方法を知ってました。トンネル内はチェーン走行禁止だったんです。そのやり方を知っていた数人の社員が先生となり、即席の講習会をしました。

 チェーンの上下、裏表を教えて車を移動、タイヤの内側を先に止めてから外側をしっかり止める。遅くまで講習しました。凍てつく寒さの中でです😢

 そして当日、みんな覚悟してテスト会に臨みましたが、幸いに予報が外れて大雪とはなりませんでした。もしも大雪だったらと会場近くで泊まった社員もいました。当時はみんな必死で仕事をしたんです、全社員一丸となってです。



 30年以上も続けた仕事なので、まだまだたくさんのアクシデントや私のミスがあります。今回はこれくらいにしときます。また、思い出したら書き加えますね👋