物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記 -2ページ目

下劣な輩もいるもんですな!

酒井法子の復帰の事で、ギャンギャン喚きちらしてイチャモンつけている輩がいるけれど、そんなに私がコメントしたのが気に入らないんですかねぇ?

芸能人の関連で話をすると、東京ぼん太は賭博で捕まり、仕事を一時干され、復帰したと思ったら48歳で胃癌で亡くなったし、美川憲一は大麻絡みで逮捕されたけれど復活したでしょ?

北島三郎は、広域指定暴力団稲川会の稲川聖城とお友達だったし、山口組の田岡一雄は神戸芸能社を使って、興行を行い、鶴田浩二や、美空ひばりの興行権を握っていたでしょ?

それを解ってイチャモンつけているんでしょうかぇ!

確かに酒井法子は、覚せい剤に手を染めたし、逮捕されたけれど、酒井法子以前に何食わぬ顔して復帰した連中や、未だに暴力団とズブズブの関係にある連中は沢山いると思いますよ。

だから、酒井法子関連でコメントした私にイチャモン付けるのは筋違いで、一度くらいは温情を与えても良いんじゃないでしょうかねぇ?

清水健太郎や、田代まさしの様に累犯する輩は論外として、先ずは様子を見てやるのも一つの手段だと思いますよ。

人のコメントにイチャモンつけたり、人を誹謗中傷する輩は、脳味噌が腐った低能児だと思うから、深追いしないし、同じ土俵に上がる事自体時間と、労力の無駄だから、放置プレーしておきます。

人を誹謗中傷するような下劣な低能児に付き合う暇はありませんから!

島田紳助引退会見について思うこと

先日午後10時に会見を開き、島田紳助が引退すると発表したのは周知の事実です。

然し、この会見には腑に落ちない点が多々ありますプンプン

島田紳助の引退理由ですが、広域指定団体山口組若頭補佐との黒い交際が発覚したからということになっていますが、吉本興業自体創業当時から山口組とはズブズブの持ちつ持たれつの共生関係にあった筈で、今更になって黒い交際を理由に島田紳助を引退させるなんて常軌を逸した行為だと思いますプンプン

横山やすしが死去した時も、「やすしの葬儀に出席した奴は、全員解雇するぞ」って、所属芸人や社員に恫喝していたし、吉本興業は、お天道様に胸張って大手を振って歩ける真っ当な組織じゃないんですプンプン

コメディーNo1の前田五郎を解雇した時も然り、横山やすしを解雇した時も然り、自分達に都合が悪くなると蜥蜴の尻尾切りをするんだと思いますよプンプン

過去には、中田カウスボタンが賭博容疑で逮捕された時も、当事者を解雇するべきなのに、カウスボタンは解雇されていないし、全く解せないですよプンプン

林正之助は生前、「ワシが声掛けたら、山口組の兵隊300人が集結するぞ」って恫喝した事もあるし、当時の組長田岡一雄と一緒にレコード会社乗っ取りを画策した極悪人ビックリマークプンプン

そんな連中が経営していた興行会社は島田紳助を解雇する謂れはないと思いますよプンプン

元々暴力団と昵懇の仲の吉本興業自体が持て囃されること事態が本末転倒だし、あの組織が、コンプライアンスを厳守しているとは到底思えませんプンプン

吉本興業は、掃き溜め地帯の大衆娯楽で、娯楽の殿堂なんですなビックリマーク

クズな興行師である吉本興業には、島田紳助を兎や角言う資格なんかありゃしないんですなビックリマークプンプン

$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-吉本せい
吉本せい写真  

$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-林正之助
林正之助写真

吉本せいは、お笑い王国吉本興業の創始者です。厳密には彼女だけではなく、彼女の夫である吉兵衛も創始者です。せいは1889年(明治22年)大阪の米穀商林豊次郎の娘として生まれました。12人兄弟の中の次女です。一説には生誕地は兵庫県明石だとも言われます。勉強好きの利発な娘でした。尋常小学校4年を終えた後、大阪市内の商家に奉公にでます。明治40年18歳荒物商吉本吉兵衛と結婚します。吉兵衛は家業に身を入れず、演芸に打ち込んで、旅回りもするという道楽者でした。せいは、姑にかなりいびられたようです。こんにゃくに煮干をいれて煮付けとして出したら、叱られました。以下に参考文献から引用します。当時の大阪の庶民の生活水準と現在の我々のそれとを比較してください。姑曰く、このこんにゃくのたき方はなんや、正月の煮しめやないで、こんにゃくを惣菜に買うたんは、おつけにするからやで、おつけやったら汁でおなかが一杯になるさかい、ごはんの足しになりますのや、こない所帯持ちの悪い嫁に来られては、わてら乞食せなならん。
 1912年(大正2年)、結婚して5年後、夫婦は吉本興行部を立ち上げます。吉兵衛の道楽が昂じた結果なのか、せいの勧めになるのか、その辺の事情は曖昧です。大阪天満天神裏の第二文芸館を500円で買います。主として落語を語らせる寄席です。寄席にも色々ランクがあります。大阪では桂派の金沢亭と三友派の紅梅亭がトップクラスでした。この二つの寄席の木戸銭は20銭、第二文芸館のそれは5銭でした。こういう下のクラスの寄席を端席と言います。吉本はこの段階から出発しました。せいは主として裏方に徹したようです。暑い時には店の前で冷たい飴を売る、雨に汚れた客の下駄を洗っておくなどします。暑い日にはわざと蒸し暑くしたり、時にはこれも故意に下手な芸人に長く語らせて客の回転を早めたりのトリックも使います。芸人の汗を拭いてかいがいしく世話もします。芸人の歓心を買うためです。ともかく人件費を節約し、せい一人が裏方として働きました。亭主の吉兵衛は、実務はすべてせいに任せていたようです。
 当時の大阪の落語界には三つの派がありました。古典落語の桂派、もう少し演劇的な話し方をする三友派、そしてこの両者に対抗する浪花反対派です。浪花反対派の実態は、前二者に比し、より素人っぽく、時勢に合わせる、大衆的な路線でした。吉本吉兵衛はこの浪花反対派と提携します。大衆路線を進みます。この方針は以後の吉本の基本方針になります。第二文芸館の客入りは良くて、吉本は他の端席を徐々に買収し、店を増やして、多角経営をします。この辺の才覚は演芸狂いの吉兵衛の智恵でした。もっとも吉兵衛はあくまで芸人でありたくて、寄席の経営者に徹しきることには抵抗があるらしく、基本的方針以外の指示は出していなかったようです。
 1918年(大正7年)法善寺裏にある金沢亭が売りに出されます。15000円で吉本はこれを買収します。やっと一流の寄席を手に入れました。こうして吉本は大阪の寄席の世界のトップに躍り出ます。亭の名は花月と変えられました。ここの花月は大阪南にあるので、南地花月と呼ばれ、吉本の本店でもありました。金沢亭を買収することにより、そこに出ていた芸人を使えるので、吉本の寄席の水準は上がります。木戸銭は10銭でした。この間せいは実弟林正之助を吉本興業に入れ、実務を担当させています。ついで次の弟弘高を東京方面の支配人にしています。二人の弟は経営の実務では極めて優秀でした。また興業という商売の性格上やくざ社会との接触は避けられません。せいや吉兵衛は彼らを適当に使う一方、退職した警官を雇い、警察にもコネをこしらえます。
 次の節目が桂春団子治を引き抜いた事です。1921年(大正10年)南地花月に春団治の大看板が上がりました。月給700円、前貸し20000円です。前貸しは彼を吉本に縛り付けるためです。春団治に関しては、多くの小説や演劇で、彼の生涯や生き方が虚実取り混ぜて描かれています。彼の出自ははっきりしません。ただ天性の芸人で、浪花の落語の頂点を作った人気者であり、その人生自身が破天荒でした。ある大商家の未亡人、岩井しう、と恋仲になり、春団治は後家殺しと仇名されました。彼が残した「はなしか論語」なるものがあります。弟子に与える、芸人としての処世訓です。以下に紹介します。彼には金銭感覚はなく、ほぼ文盲でした。
 
名をあげるためには、法律に触れない限りなんでもやれ
 借金はせなあかん
 芸人は衣装を大切にせよ
 自分の金で酒を飲むようでは芸人の恥
 師匠と弟子は親子の仲、女中や車夫は使用人、使用人は時間までに寝さねばならない、弟子に時間はなし
 女は泣かしなや

 次の節目が安来節の上演です。島根県の民間俗謡に振り付けが入り、女性の踊り陣の中で男性が泥鰌すくいを踊るという極めて土臭い大衆芸能ですが、これが大当たりします。正之助の提案です。もっとも落語家の人気は散々でした。
 大正13年、せい34歳の時、夫吉兵衛が死去します。脳卒中でした。ここからせいの単独経営が始まります。ともかく夫が残した30余の寄席の数を減らしてはならないとがんばります。月掛け2900円の貯金を企てます。かなり無理な貯金計画です。
 寄席の看板に名が出る時、落語は黒字で、他の芸は赤字で書かれました。赤字で書かれる、曲芸、琵琶、奇術、尺八、剣舞、万歳、軽口などは色物と言われて、落語からは一段下のランクにありました。吉本はこの色物を重視します。時は大正デモクラシ-の時代、新中間層が増え、サラリ-マンが出現します。この大勢を掴んで郊外型住宅が建ち、私鉄が走り、生命保険が盛んになります。せいは、自己の寄席を見ながら、現状に不満を抱きます。もっと新しくて若い世代に受けるものを考えなくてはと思います。いつまでも和服姿の中年のおじさん達相手では、と疑問を感じます。一大転換期です。ここで吉本は万歳に力を入れ始めます。万歳ははじめ、太夫と歳蔵が演ずる予祝を事とする門付け芸能でした。ここから予祝性を取ればどうなるか?決まりきった定型的な振舞いをやめて、万歳を、二人の芸人に語らせ、歌わせ、演技させて、雑芸化します。現在のしゃべくり漫才、どつき漫才です。吉本はこの方向へ経営の舵を取ります。昭和2年、大阪の弁天座で、全国万歳座長大会が開けれ、万歳が競演され大成功を収めます。
 昭和6年1月に横山エンタツ・花菱アチャコの万歳が始まります。横山は本名、エンタツは大学出のインテリ、米国公演の経験もある理論派です。アチャコは大阪の仏壇屋の子、新派の俳優に憧れ、そのもって生まれた軽妙な滑稽さから当時すでに吉本で万歳をしていました。花菱は実家の屋号です。吉本は米国帰りのエンタツを丁重に迎え入れます。エンタツは相棒にアチャコを指名します。アチャコでないといけないと断じ切ります。エンタツは理論派であり、アチャコの真髄は芸の技術にあります。エンタツはアチャコに和服をやめて、洋服で高座に上がる事、それまでの予祝芸能にあった万歳における一切の形式を捨てて、すべて対話、それも君と僕の対話、で通す事を指導します。エンタツは万歳の中に、当時のサラリ-マン社会の日常生活を持ち込み、それを題材として、それを描こうとしました。これはせいの年来の抱負とぴったりです。東京風インテリのエンタツとこてこての大阪の庶民アチャコの組み合わせも絶妙でした。二人の演じた万歳はたくさんありますが、その中で「早慶戦」は芸能史を飾る名作です。二人の漫才はNHKで放送されます。はじめせいはラヂオに人気を奪われると、警戒気味でしたが、いざ放送されると、ラヂオで聴いたファンが吉本に押し寄せました。
 昭和7年吉本は合名会社吉本興業になります。せいが社長、正之助と弘高が理事です。吉本演劇通信という冊子を発行し、芸人の私生活を、つまりゴシップを紹介します。これが新聞雑誌等で取り上げられ、芸人と吉本の人気を煽ります。橋本鉄彦を入社させて、文芸部と宣伝部を統括させます。「万歳」というなお予祝性を残す名前を捨て、「漫才」に切り換えます。この処置はかなり強引でしたので非難轟々でした。しかし吉本は、伝統的名称を廃棄するほどの、力を持っていました。更に即興の観があった漫才に脚本を与えます。すでにエンタツは脚本をかいていました。大学卒の文学青年を大量に就職させて、脚本を書かせます。秋田実、長沖一、前田栄一らが代表です。秋田実は東大文学部哲学科卒、変り種です。
 エンタツ・アチャコのコンビは昭和6年1月から9年10月まで続きます。短い期間でした。コンビ解消には、せいが絡んでいます。いやむしろ、彼女のせいでしょう。アチャコが中耳炎になります。無理を押して出演していたので、重症になり入院します。せいはこの1ヶ月の入院をもったいないとして、エンタツに他のコンビを組ませます。回復したアチャコにも別の相棒を与えます。こうすれば二人の人気を倍に使えると、せいは踏みました。この処置は特にアチャコにショックでした。ただ漫才以外、映画などでは二人はコンビで出演していました。しかし映画ではコンビの味は薄れます。アチャコはエンタツの指導に頼り、エンタツはアチャコの芸に自分は遠く及ばないと、思っていました。
 漫才の台頭に反比例して落語の人気は凋落の一途をたどります。せいのやり口は芸人を金、前貸しの金で縛ることです。落語で経営の地盤を固め、落語の古典性を排して、大衆芸能路線を取りますが。落語家は圧倒的組織である、吉本の金縛りにあい、自由な行動は取れません。こうして大阪の落語は衰亡します。東京では、落語は健在でした。吉本が落語を潰したというのは、当たっています。せいは確かに芸人を可愛がりましたが、それは役に立つ、あるいは己が好む、芸人であって、そうでない芸人は容赦なく解雇しました。
 落語の中から吉本への反逆者が出ます。桂春団治の弟子、桂小春団治です。小春団治は、新作落語を自ら書き、自ら話して、古典落語を乗り越えようとします。同時に吉本に解雇願いを出して、吉本からの解放を目指します。吉本は、大阪はもちろん、東京の落語会にも働きかけて、小春団治の出演を妨害します。小春団治は落語界では戦い敗れて東宝に入ります。後に彼は落語をやめ、踊りに転向し、花柳芳兵衛と名乗ります。小春団治は理論派でした。彼の書いた落語「禁酒運動」「夜店行進曲」などの題名を見ると、社会派という印象を感じます。当時文学界を席巻していたプロレタリア文学の影響でしょうか?やがて師匠の春団治が死去し、落語の凋落は決定的になります。
 せいは、大阪府議会議長であった、辻阪信次郎と昵懇になります。この昵懇の意味は色々に取れます。色と欲の二足のわらじだったかもしれません。昭和10年京都を皮切りに脱税問題が検察に追求されます。辻阪にも嫌疑がかかり、収監されます。せいも取り調べられます。辻阪は留置所内で自殺し、せいの嫌疑はうやむやになります。辻阪がせいのためを思って、そうしたのかどうかは解りません。
 当時つまり昭和10年代には、映画界では松竹と東宝が角逐していました。この争いに吉本が巻き込まれます。戦時体制で映画の配給本数は制限されました。映画会社は映画と映画の間に、芸能を組み込んで、上演するようになります。松竹と東宝の間で芸人の取り合いが起こりました。本来吉本は東宝系でした。そこで松竹は吉本の芸人を高額の給料で引き抜きます。ワカナ・一郎のコンビはエンタツ・アチャコと並ぶ大看板でしたが、引き抜かれます。なお松竹から東宝に移った、林長次郎(長谷川一夫)の刃傷事件は世間を驚かせました。
 「清水次郎長伝」で有名な浪曲家、広沢虎造の映画出演で、吉本と他の興行師がもめます。結果として吉本と縁のある山口組が他のやくざ団体と抗争し、死者を出す騒ぎになりました。吉本は興業という仕事の性格と、芸人ににらみを効かすために、この種の闇の組織とつかず離れずの関係を続けていました。一方彼らの世界に吸収されないために、警察とも昵懇にしていました。
 戦後ブギで一世を風靡した、笠木シツ子とせいの次男泰典は相思相愛でした。せいは二人の結婚に反対します。シズ子は身ごもり、泰典の子を産みます。泰典はしばらくして結核で死去します。泰典とシズ子の縁談がそう悪いとは思えません。何がせいをして、かたくなに反対せしめたのでしょうか?
 吉本せいの経営方針は三つあります。まず、必要な事には大金を惜しげもなく出すが、不必要となれば一銭も出さない、という大阪商人の伝統的な思考法です。これはこれで合理的ではありますが、限界もあります。イノヴェ-ションに乗り遅れやすいことです。二番目の帝国大学を京都市に持って行かれたのは、その典型です。これで大阪は学問知性の地ではない、というレッテルが貼られました。三井銀行の中上川彦次郎が、傘下の鐘紡の労働者の待遇を改善した時、大阪の紡績会社は一致団結して、この企てを妨害しました。
 次にせいは、大衆芸能路線を推し進めます。こうして古典落語を駆逐します。反対から見れば、面白ければいい、となります。芸能の質の向上という点では、大衆路線は足を引っ張ります。
 最後が、吉本の前期資本主義、前貸し資本主義の体質です。資本主義が勃興する初期、問屋制家内工業といって、商人が職人に資本を前貸しして、紡織させました。こうして職人を金で縛ります。いわば商人型資本主義ですが、産業革命はこの型を破って出現しました。この前貸し資本主義は、鉱山労働、あるいは売春などにはまだ残っていました。吉本の経営体質はこの名残を濃厚に持っています。
 せいの性格の特徴は嫉妬深さです。吉本は夫吉兵衛との共同で出発し、吉兵衛がいなければ、吉本はなかったはずです。吉兵衛が死ぬまで、経営の表は彼であり、芸能界の裏の裏まで知り尽くした、吉兵衛なくして、経営が成り立つわけはありません。吉兵衛が死んだ時、30くらいの寄席を残し、すでに吉本は大阪の寄席では巨大と言ってもいいくらいの大きさになっていました。しかし後年のせい語り口では、吉兵衛の貢献はゼロになり、すべて自分一人で吉本を作ったことになっています。確かに吉兵衛はあまり良い亭主で
なかった事は事実ですが。
 笠置シズ子と泰典の結婚に反対したのも嫉妬でしょう。せいは子供に恵まれたとは言えません。長男は夭折、頼むは泰典だけ。別に他の女性が相手でも、せいは泰典の結婚には反対したでしょう。露骨に言えば、近親相姦的感情です。こういう人物の感情は複雑で、激しく転変します。執念深いともいえます。
 昭和24年死去、享年60歳、死因は肺結核でした。

 参考文献 女興行師吉本せい  中央公論社」




⇒⇒お得なブロードバンド回線をお探しの方に朗報です!

⇒⇒メルマガ登録で毎週パソコンをプレゼントします!!

⇒⇒私が好きな癒しグッツのショップさんです。

⇒⇒私が応援している大道芸のユニットさんです。

⇒⇒私が応援しているシンガーソングライターの中嶋ユキノさんです。


ホームドア関連でもう一つ

前にもホームドア設置関連でお話ししましたが、先日8日に諸用で都営地下鉄大江戸線に乗車する機会がありましたので今一度お話しますニコニコ

都営大江戸線は、練馬区光が丘を起点に、「6」の字を横に寝かせたような路線で走っており、大阪の鶴見緑地線と同じ鉄輪リニア地下鉄ですニコニコ
$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-ホームに進入する電車
都営大江戸線でも乗客の安全対策としてホームドア設置工事が始まっていますが、中にはホームドアの運用を開始している駅もありますニコニコ

新宿駅では、ホームドア設置工事が始まったばかりで、工事の案内と、工事前のホームの様子をみることが出来ましたニコニコ
$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-ホームドア工事案内

ホームには、まだホームドアの設置はされていませんが、ホームドア設置時の目印がホームに表示されていましたニコニコ
$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-大江戸線新宿駅ホーム
養生シートの下は、ホーム自体の補強工事が完了しており、ホームドア取り付け用の工事も完了していると思いますニコニコ

今回の工事で設置するホームドアは、日本信号製で、設置が完了すると、東急目黒線大岡山駅の様な感じになりますニコニコ
$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-Platform_screen_doors_001大岡山

都営大江戸線は、リニア地下鉄で、線路にはリアクションプレートが設置してありますニコニコ
$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-大江戸線トンネル内部_2
$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-大江戸線トンネル内部

リアクションプレートは、アルミ製で、誘導磁界を生む出す働きをしますニコニコ

簡単に言えば、リアクションプレートは、交流モータで言う二次コイルの様な働きをしますが、プレート自体には電気は流れていませんニコニコ

$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-大江戸線トンネル内部_3

都営大江戸線は全線にわたりATOで運転されていますので、ワンマン運転となりますニコニコ
$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-大江戸線電車_1
先頭車の前面には、写真のようなレンズが付いていますが、コレは日立製作所と八木アンテナが共同開発した「対列車光空間伝送システム」のレンズです(近赤外線空間波伝送方式)ニコニコ
また、このシステムは地上と車両間のインタフェースを行うものであり、画像伝送のほかトランスポンダと同様に車両情報の伝送機能も有する。このため、車両基地内での在線検知や地上検査装置とのインタフェースにも使用されていますニコニコ
$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-赤外線伝送装置レンズ
運転台正面にある2台のLCDディスプレイは、駅プラットホームの状況を映し出すモニターで、左側のLCDモニターにATOの動作状況等を映し出すようになっていますニコニコ$物欲に負けるくらい欲しくなるモノも紹介する日常の日記-大江戸線電車運転台

ホームドア設置にはいろんな苦労があり、工費がかかりますが、お客様第一を考えたら設置も止む終えないと思いますガーン

設置費用は運賃に上乗せられてしまうので、運賃が多少高くなってしまいますガーン

鉄道を利用する側も、マナーを守って鉄道を利用したいものですねニコニコ



⇒⇒お得なブロードバンド回線をお探しの方に朗報です!

⇒⇒メルマガ登録で毎週パソコンをプレゼントします!!

⇒⇒私が好きな癒しグッツのショップさんです。

⇒⇒私が応援している大道芸のユニットさんです。

⇒⇒私が応援しているシンガーソングライターの中嶋ユキノさんです。

好きな韓流アーティストは?

好きな韓流アーティストは? ブログネタ:好きな韓流アーティストは? 参加中
ハッキリ言っていませんプンプン

体中整形して、改造しまくっている連中の事が嫌いだし、見ているだけで吐き気がしてきますねプンプン

糞食い人種の朝鮮人にチヤホヤする位なら、もっとやる事があると思いますよプンプン

金を借款したり、厚遇、優遇してやっているのに、文句を言うし、金を無心したり、せびろうとするし、最低最悪な人種なんですなプンプン

そんな連中に現をぬかしている内に、日本は乗っ取られ民族浄化されて全滅してしまうんですよプンプン

日本人をコケにしているくせに、日本人に集るウジ虫、シロアリ然とした下衆な輩はチヤホヤしちゃいけないんですプンプン



All About 「韓国語」場を盛り上げる大人気K-POP。歌い方のコツ
All About 「専門家ニュース」次に来そうなK-POPアーティスト





⇒⇒お得なブロードバンド回線をお探しの方に朗報です!

⇒⇒メルマガ登録で毎週パソコンをプレゼントします!!

⇒⇒私が好きな癒しグッツのショップさんです。

⇒⇒私が応援している大道芸のユニットさんです。

⇒⇒私が応援しているシンガーソングライターの中嶋ユキノさんです。

どんな筆箱使ってた?

どんな筆箱使ってた? ブログネタ:どんな筆箱使ってた? 参加中
私は、三菱鉛筆のシャッタ郎ですねニコニコ

ボタンを押すと、プラスチックのシャッターが勢い良く開いて、鉛筆立ての部分が立ち上がるんですニコニコ

あの筆入れは、小学校で話題になり、欲しくて親にせがんで買ってもらったんですニコニコ

結果的にはあまり長持ちしませんでしたが、ユニークな筆箱でしたねニコニコ







⇒⇒お得なブロードバンド回線をお探しの方に朗報です!

⇒⇒メルマガ登録で毎週パソコンをプレゼントします!!

⇒⇒私が好きな癒しグッツのショップさんです。

⇒⇒私が応援している大道芸のユニットさんです。

⇒⇒私が応援しているシンガーソングライターの中嶋ユキノさんです。