『ライ麦畑でつかまえて』

 

 

著者

J・Ⅾ・サリンジャー

 

 

野崎孝

  

感想

 世界でもっとも有名な青春小説。そして、本作には二人の有名な訳者がいる。

 

 白水社から50年以上も前に出版された『ライ麦畑でつかまえて』を訳した野崎孝。最近、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』というタイトルで訳したかの有名な村上春樹。この二つの作品を読み比べてみた。はっきり言って、村上春樹版は現代的すぎる。時代背景は戦後間もないアメリカであり、2000年の現代ではない。村上春樹の文体はおしゃれすぎるのだ。それよりも、野崎孝版の「やっこさん」「びっこを引いている」などの古臭い訳の方が時代を反映している。

 

 ホールデン少年がなぜ多くの支持を集めるのか。それは人類が近代化の道を進み、新しい社会から多くのストレスを感じる人々が増え、その社会に順応する過程における苦悩を、彼が代弁しているからだと思う。

 

 彼がインチキと形容する大人たちは近代化に順応しようとする。しかし、ホールデンは違和感を持つ。それは大きく膨らみ大人と社会への嫌悪に変わる。ホールデンは語る。

 

“僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えた。”

 

 でも、社会に溶け込みたいという想いも垣間見せる。彼が社会と離れようとするのを妹のフィービーが止める。

 

“ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとうになりたいものといったらそれしかないね”

 

 やりたいことはなに? と聞かれたホールデンが答えたセリフだ。そこには近代化された社会から離れ、自分のやりたいことをして生活したい、という少年の気持ちが反映されている。

 

 ホールデンは西部に行く決心をする。しかし、再びフィービーが止める。二人はケンカをする。そんな中、メリーゴーランドに乗るフィービーを見て、ホールデンは気が変わる。

 

“しかし、僕は平気だった。フィービーがぐるぐる回りつづけてるのを見ながら、突然、とても幸福な気持ちになったんだ。本当を言うと、大声で叫びたいくらいだったな。それほど幸福な気持ちだったんだ。なぜだか、それはわかんない”

 

 僕はこのシーンが好きだ。大人全員がインチキに見えて、お高くまとまった学生が大っ嫌いなホールデンも、本当はみんなとわかり合いたい気持ちを持っているように思えた。そして、大事な妹をおいて西部にいけないと思わせるフィービーはとびっきりかわいい妹だ。天使だ。

 

 僕はこのシーンに衝撃を受けた。放心状態になった。今まで紡がれた物語に触れて放心状態になったのは映画の『ニュー・シネマ・パラダイス』『真夜中のカウボーイ』と小説の『グレート・ギャツビー』ぐらいだった。僕は数年たってから、再び『ライ麦畑でつかまえて』をまた読み返すことになるだろうと思った。

 

 そして、案の定、昨日、読み返している。