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※台湾原住民は、支那大陸からの移民が盛んになる17世紀

以前から居住していた、台湾の先住民族の呼称。

台湾政府(中華民国)の定める中華民国憲法により

原住民族」の存在が謳われている。

支那語では「先住民」と表記すると、「すでに滅んでしまった民族」

という意味があるため、この表記は台湾では用いられていない。日本では

「原住民(族)」を使う場合、「現地の呼称や少数民族の意見を尊重するため」

と注釈を付ける例もある。

高砂族は広義には、台湾原住民の総称。

狭義には台湾原住民のうち漢化(漢人化、漢文化化)しなかった

部族の総称。漢化が進んだものは平埔族と呼ばれる。

 

 多くの日本兵を救った精強「台湾高砂族」

 

台湾は

1945年まで約50年間にわたって日本の統治下にあった歴史

がありました。

 

日本との関係性を重視するお隣の台湾から

蔡総統名で、今後の日台間の関係が良好でありますように

というコメントが、日本語でツイートされました。

 

 Flag of World Taiwanese Congress.svg  高砂族の種族分布 に対する画像結果

台湾の蔡総統、「台日は最高のパートナー」: 日本経済新聞台湾の蔡英文総統は日本時間5月1日午前0時に日本の元号が平成から令和に変わったのに合わせ、「令和の時代も

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当時の通称で

高砂族と呼ばれた人々がいます。

しかし現在の日本では、ほとんど知られていなうでしょう。

右:「日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊」菊池一隆・著 平凡社新書

左:「高砂族に捧げる」鈴木明・著 中央公論社 

 

 

話が少し逸れるようだが

ネパールに住んでいる「グルカ」と呼称されている山岳民族に

ついて少し話したい。

 

彼らは

標高の高い山間部に住んでいるため、急峻な山岳地帯を

自在に動き回り、過酷な自然の中で高い生存能力を兼ね備え

またその性質も勇猛果敢であるなど、戦う兵士として非常に

高い資質を持っている。

 

19世紀以降、彼らグルカ族は、その能力を評価した

イギリスの東インド会社によって傭兵として採用され

後に多くがイギリス軍の最前線部隊として採用される

こととなった。
やがて彼らは世界中の戦場で活躍、第二次世界大戦では

インパール作戦等で日本軍を相当に苦しめた。
インパールで、飢えや病気以外で命を落とした

日本兵の多くはこのグルカ兵と戦って戦死したものと

考えられているようだ。

 

彼らは

今でもイギリス軍に所属しており、フォークランド紛争や

イラク、アフガニスタン戦争でも大活躍している。


最近もアフガニスタンで、十数名のタリバン兵らがイギリス軍

の基地を奇襲した際、たった一人のグルカ兵がこれに

立ち向かい、凄まじい戦闘を経て撃退、勲章を授与された

 

というニュースがあったし、インドでは2010年、40名の強盗集団

が旅客列車を襲撃、乗客らに対する暴行略奪を働いた

あげく、その中の18歳の女性を強姦しようとしたが

たまたま乗り合わせていた英グルカ旅団の元伍長が

グルカ族だけが持つ蛮刀「ククリナイフ」を抜いて賊に反撃

3名を殺害し、8名に重傷を負わせてこれを撃退した。

 

こんなグルカ兵に非常によく似た山岳民族が、台湾にいる。
それが台湾の「高砂族」である。
ニューギニア戦を語る上で、この「高砂族」を外して語る

ことは非常に難しい。

 

彼らは

台湾の山岳地域に住んでいる「原住民」であり

グルカ族と同じように独特の蛮刀を腰に差して峻険な

山岳地帯を自在に移動し、支那大陸からやって来た人々

とは習俗も言葉も違う。

 

本当は

いろいろな部族があって、名前も何も違うのであるが

戦前の日本では台湾の原住民すべてをまとめて「高砂族」

と呼んでいた。
この「高砂」という呼称は決して差別語でも何でもなく

オーストラリア人がニュージーランド人を「キーウィー」

呼ぶような感覚だろう。

 

そんな高砂族は

一方で日本統治時代の教育をどんどんと吸収した結果

自らを「日本人」として認識するようになり、日本に対する

信頼や忠誠心は

場合によっては日本兵以上のものがあった。
やがて大東亜戦争が始まると、多くの若者が日本軍に

採用され、「高砂義勇隊」として過酷なニューギニアの

ジャングルに送られ、日本軍の物資を運ぶための

「担送要員」として活躍し始めた。

 

高砂義勇隊員らは

命令に対して極めて忠実であり、昭和17年に発動された

ポートモレスビー攻略作戦では、南海支隊の指揮下にあって

早速前線部隊への食糧輸送の任務に就いた。
支隊には、ほかに朝鮮人軍属も輸送任務に就いていたが

彼らに輸送を任せると、その途中で、運ぶべき食糧そのものに手をつけてしまい、前線には予定の半分も届かないということが常であったが、高砂族は違った。

 

 

ある時など前線部隊に

向けて食糧を輸送していた一人の高砂族の青年が

ジャングルの道ばたで「餓死」しているのが発見された。

彼は背中に担いでいた大量の食糧

にはいっさい手をつけていなかったのである。
このことは

「ここまで命令と任務に忠実たち得るのか」

        日本軍将兵らを感嘆せしめたのである。

 

グルカ兵と同様、彼らは長い間

台湾東部の険しい山岳地域に住んでいたため

身体は極めて頑強であり、原始的な生活を続けていた

せいで粗食に耐えることもできた。


また、ジャングルにおけるその能力は飛び抜けており

夜目が効き、耳も鼻もよいため、米豪軍の兵士らが

接近してくると、その音や臭いによって、夜間でも敵の動きを

遠方から察知することができた。
また、鳥の鳴き声の微妙な変化によってさえ、敵の接近を感知

したという。

 

彼らはまた

密林における隠密行動も極めて得意であり、連合軍陣地

にも悠々と侵入してテントから食料品を奪い

または食べるものなど何もないと思われていたジャングル

の中で上手に食糧を探し出し、飢え続けていた

日本兵らに真っ先に食べさせたりもした。

 

例えば

豚などを捕まえれば、自分たちは内蔵を食べ

美味しい肉の部分を日本兵に渡したりするなど

彼らの忠実な精神に感動したという話は多い。


こんな彼らが

後方で日本軍将兵を懸命に支援した結果、ニューギニアや

ブーゲンビルで戦い

生き残った兵士の多くが命を救われたのであるが

このことは後世に必ず記憶されるべき事実だろう。

 

やがて

戦況が極度に悪化し、運ぶべき食糧がなくなったせいで

ボロきれのようになった日本軍将兵が追い詰められた時

見るに見かねた彼ら高砂族は、上官に対して初めて

「靴を脱ぐ許可」を要請、いったん裸足となった瞬間から

彼らは「頼れる担送要員」から、信じられないほど強力な

「戦闘員」に変身した。

 

「兵隊さん、銃を貸してください」と言って

自ら武器を手に取った高砂兵らは、その後、連合軍に

対して積極的に激しい攻撃をかけ

「負傷兵の看護輸送」「食糧調達」のみならず

「狙撃」「奇襲」「偵察」「待ち伏せ」

「敵陣地後方への潜入および破壊活動」に至るまで

八面六臂の大活躍をした。

 

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