今日は少し足をのばし……
世界最大の水道専用ダムと称される
堤高149m、貯水要領1億8900万トン。我が国屈指の大ダムで、世界最大の水道専用ダムといわれることが多い。
しかし、水道のほか、発電にも利用されている。
いずれにしても「都民の水ガメ」として大きな役割を果たしている。
工事で87名が殉職
工事で87名の尊い命が失われた。1953年3月に慰霊碑の前で慰霊式が行われた。碑の裏側には、殉職者名が刻まれている。
小河内神社は小河内貯水池建設のために水没した小河内各地域に祭られていた温泉、
金御岳、箭弓、貴船、愛宕、熊野(青木)、御霊、加茂、御岳(留浦)の9社1祭神を観請して
創建された小河内地区の鎮守神であり、首都用水の守り神となっているものです。
この神社には弘安7年(12784年)の墨書銘を持つ都指定の文化財の蔵王権現像をはじめ
平安時代から鎌倉期にかけての作とみられる多くの神像があり、いずれも重要な文化財と
なっています。
鉄筋コンクリート神明造の社殿は簡素な美を保ち、毎年9月第2日曜の例祭日には
小河内地域各所に伝わる郷土芸能が奉納され、尾根の突端には大きなアカマツが多く、
奥多摩湖の中心部へ突出した河内岬の景勝美に彩りをそえています。
帰り道に少し山を歩き
長徳年間(995-999)に寛朝が開山したといわれる梅岩寺には、2本の大きなしだれ桜が4月に見事な花を咲かせ、人々の目を楽しませてくれる。
玉川上水は承応2年(1653)、江戸のまちや武蔵野台地の村々への飲料水や生活用水を供給するためにつくられた上水道です。
慶長8年(1603)、徳川家康によって江戸に幕府が開かれると、江戸は急速に発展し、多くの人々が集まってきました。三代将軍家光のころには、参勤交代が導入され、江戸の人口はますます増え、水不足が深刻な問題となりました。
そこで、多摩川の水を羽村から取り入れ、武蔵野台地を掘って約43キロメートル
先の四谷大木戸(今の新宿区)まで流し、そこから先の江戸の市中は石や木で
つくられた水道管(樋)によって給水する計画が立てられました。
また、工事は途中で2回失敗し、3回目に安松金右衛門という人が計画を見直して、ようやく完成したという記録もあります。
(羽村市HPより)
久しぶりに家からスグの昭和記念公園へ。
さくと青梅を散歩🐾
成木山愛染院と号し、本尊は不動明王です。和銅年間(708-714)に行基が軍荼利明王を彫刻し一堂に安置、これが安楽寺の基となったと縁起に記されています。
鎌倉時代には、源頼朝が家臣の畠山重忠に命じて自分の御持仏愛染明王を納め、
また足利尊氏も暦応年間(1338-1342)には、大泉坊・財泉坊・吉祥坊・多門坊など
6僧坊を建てさせ、近辺の武士や僧侶に大般若経六百巻の筆写・奉納を命じたと伝えられています。
桃の木がたくさんあり、シーズンになるとあたり一面ピンク色に染まり、
とてもきれいです。
創建年代:承平年間(931年~937年)
文化財: ・都道府県指定特別天然記念物:金剛寺の青梅「誓いの梅」
・都道府県指定重要有形民俗文化財:金剛寺表門
作成年代:江戸時代
・国重要文化財:絹本着色如意輪観世音像
平将門がこの地に仏縁を結び、一枝の梅をさして、芽を吹くか否かによって願の成就を
占ったところ、芽が吹いたといういわれをもつ梅です。
この梅は、実が季節を過ぎても熟することなく、落果するまで青いことから「青梅 と称され、
地名のいわれとなったとされています。
この実が熟さないのは、植物学的には「稚態保留」という突然変異とされています。
しかし、この梅も現在は老衰期にはいっているとのことです。
青梅市文化財ニュースより

応永年間(室町時代・西暦1394年)天ケ瀬町の真言宗金剛寺の第2世により創建されましたが、西暦1400年代頃になり、山梨県の塩山恵林寺(←武田信玄公の菩提寺です)より吹峰宗陰禅師が赴き臨済宗に転宗となりました。
開基及び開創の年月は数度の火災により古事来歴を失い、その縁起等は不詳ですが、瀑布山の由来は、境内地に小瀑布(小さな滝)があるを以てなづけしと伝わっています。
川沿いまでの一部の境内地は、昭和の中頃まで井伊直弼の子孫(直安)が別荘地として使用していましたが、道路の拡張に伴い現在では青梅市立美術館となっています。
今日は暑いで~す( ˶´⚰︎`˵ )



































































































































































