あきる野市のスグ隣、日の出町大久野の森へ行ってきました。
ここは別名「フェリシモの森」と呼ばれており、都天然記念物に指定されている
野生の「大久野藤」が見ごろを迎えております。
「大久野フジ」
大久野坊平地区にある大久野のフジは推定樹齢が400年で、根周りが3mあり、
アラカシとスギに巻きついた様子は、まるで大蛇がとぐろを巻いているように見えます。
周囲にも多数のツルを伸ばし、野生のフジとしては都内でも有数のもので、
都の天然記念物に指定されています。
花の見ごろは、例年4月末から5月中旬の間の10日間ほどです。
このフジの花は下から見上げるのではなく、丘に登り上から見下ろします。
(日の出町観光協会HP参照)


凄いよ
何か居るよ ここ

周りに生えてる木々に藤のつるが巻き付いてる。
つるがシュルシュルって動いてるような錯覚に陥る

森の妖精が居るよ ココ


普段はあまり感じないけど ここは凄く感じた!
つるがグルグル・・・グルグル・・・

さくも居るよ〜 ほよっ


藤の幹が巨大


どこからどこまでが藤なのか わからないww

さく 気持ちいいねぇ~



人の手によって作られた藤棚とは違い、力強く、自由奔放に伸びて行き、
勝手気ままに他の樹木に巻き付き、どこまでも大きく育っていく様は圧巻です。

里山で黄昏るさくぞうw


この季節のクリスマスツリー






秋川の水の流れに癒され・・・

竹の子を買って・・・・

「羽生家」を通って帰る

「羽生家」(上羽生家)
官軍に追われていた佐藤彦五郎一家(日野宿最後の名主・彦五郎の妻(土方歳三の姉)・彦五郎末娘)を匿ったのが上羽生家。
官軍は3月8日に甲府を発して総攻撃となり11日には八王子へ到着した。
薩摩・土肥諸州の兵、ニ千人余、八王子の横山町の柳瀬屋を、参謀隊長板垣退助の本営とし、市内東西に竹矢来を建て連らね、番兵は厳しく往来の諸人を調べる。
者凄じい官兵がニ、三十人ずつ隊を組み、市内外近隣村落等を巡邏して、
鎮撫隊の残兵を捜索する。
すでに密告した者があって彦五郎は、最も目指され「日野の彦五郎は、
草の根分けても見付けにゃ置かぬ」と狙われてしまった。
全く危地に陥ったので、前夜の内に身仕度を整え、一家一同皆散り散りに、
四方八方へ逃げ失せたのである。
実に、わが家始まって以来の大災難である。彦五郎はこの時年厄年42歳であった。
彦五郎とのぶは、末っ子なるともを下女あさ(十八歳)に背負わせ、東光寺道より
栗の須下を走り、小宮村北平の大蔵院へ逃竄した。これは土地の名主平氏の懇切なる
案内による。
同院の尼僧も快く奥の間にかくまってくれた。
薄暗き座中に尼僧の接待、渋茶を啜ってホッとひと息した時に、栗の須井上忠佐衛門方
から、ここえ官軍が来そうであると急報して来た。
ソレッと再び草鞋をはき、寺院の裏庭続きに雑木林をよじのぼり、峰伝いに西へ西へと
走った。
井上家下男がともを背負って、道案内をした。
この時の様子を後で土地の者から聞いたのに、シャグマの官軍が、大蔵院を取り囲み、
庫裏の囲炉裏で握飯の醤油焼き(これを彦五郎等の弁当に与えるつもりであった)を
していた尼さんを引き立てて、奥の間の襖を開けさせた。
尼さんはその座中に彦五郎が、真実いることと思って、南無阿弥陀仏を唱えながら開けた。
ところが一座皆空留守だったので、腰だめに鉄砲をならべ向けていた官軍も唖然とした。 尼僧もまた驚いたが、ホッと安堵したと云うことです。
官軍はそれから寺院内外隈なく捜索して発見出来ず、空しく八王子へ引き揚げた。
村の遠方より見ていた者の話に、裏山を三、四人這いあがる、その白足袋がよくチラチラ
見えたと云う。
これを官軍に見つかれば一斉射撃、そうなると例の彦五郎の事であるから、
大刀振るって斬り降ろし、捕縛か射殺かに遇ってしまったに違いない。
実に助かったのが不思議な位で、神仏の加護と感謝すべきである。
かくて彦五郎一行は、西多摩郡ニ宮村の茂平氏宅に辿り着き、さらに案内され大久野村なる羽生家に着いた。 すでに夜半の一時頃であった。
同家主人始め皆起出で茂平氏より委細を聴いて驚きかつ同情せられ、奥座敷に招かれて、
食事万端厚き待遇を受け、全く安心して寝に就いた。
これよりたえず茂平氏の奔走で、官軍の状況を探り知ったという。
(佐藤彦五郎資料館HP参照)
久しぶりの上羽生家。
何度拝見してもため息が出る程に立派なお屋敷です。


大久野周辺は長閑な風景がご馳走です^^
畑には色とりどりの花が沢山咲いています


さくと桜の大久野散歩でした!