昨年12月にさくと原付で行ってきた あきる野市の「大悲願寺」。
「大悲願寺」・・・開山800年あまり、多摩の古刹
東京都あきる野市横沢丘陵に建つ当山は、記録によれば、建久二年(1191)に
源頼朝の命を受けた平山季重が建立し、京都醍醐三宝院の澄秀僧正のより
開山されました。
しかし、三世秀海僧正の入寂後衰退し、再興されたのは室町時代の四世済遍僧正の時
でした。
その後、徳川家康の信任が厚かった十三世海誉僧正、伊達政宗の末弟といわれる十五世
秀雄僧正などを輩出し、明治二十九年に長谷寺の直末寺になりました。
「仁王門」
寛文9年(1669)に建立され、安政6年(1859)に改修されました。
かつては、長い階段の参道が秋川沿いの五日市街道(旧伊奈道)からここへ続いていました。
「立派な仁王門だなっ!」
「仁王門の天井に描かれた金剛花曼茶羅」
仁王門の中央通路上の格天井には、南側に金剛界大日、北側が胎蔵界大日の梵字を
中心に、それぞれ草木の花が十四枚描かれています。
絵師は江戸時代後期の狩野派絵師狩野養信の門人、藤原善信です。
仁王門をくぐり、振り返るとこんな景色。
昔はずっと向こう側から続く参道の石段を登って来たのですね。
「観音堂」
無畏閣と呼ばれる観音堂。
「無畏」とは、観音菩薩の慈悲のより心の「畏(おそれ、不安、怒りなど)」を取り払うことです。
現在のお堂は寛政6年(1794)の建立。
この時、さくを何度呼んでもコッチ向いてくれず><
観音堂の正面をじっと見たまま動きませんでした。
何か見えたのかな?
観音堂の前の敷石
大きすぎて全体を撮れなかったので・・・(汗)
いく本かの大木がそびえ立つ
「大悲願寺本堂」
「伊達政宗 白萩文書」
仙台藩主伊達政宗から当山に宛てた書簡です。
政宗が以前ここを訪れた時、庭の白萩が見事に咲いていて、その時は欲しいと言い出しかねて帰ったものの、後日わざわざ飛脚を立てて 白萩を分けて欲しいと言ってきたものです。
年は「政宗公実記」の記載から、元和九年(1623)と推定されます。
当時、大悲願寺は十三世海誉僧正の代でした。
その海誉の弟子の僧に、のちに十五世住職となる秀雄僧正がいました。
秀雄は幼名を鶴若といい、伊達輝宗の末子、すなわち政宗の末弟だといわれています。
しかし、伊達家の家系図にはその名が見えないので、あるいは異母兄弟なのかもしれません。
政宗の訪問には、徳川家康の信が厚かった海誉僧正を表敬し、秋川渓谷に遊ぶことのほかに、この末弟と会う目的もあったと思われます。
政宗が住んでいた仙台地方の萩の色は紫色でしたから、白い萩が珍しかったのでしょう。
このとき政宗に贈られた白萩が、その後どうなったかは定かではありません。
(金色山吉祥院「大悲願寺」より)
(※白萩の季節ではないので 写真はお借りしましたm(_ _ )m)
「朱雀門」
写真撮るの忘れてるぅ〜〜
数日前の散歩風景〜
ちょうどお昼頃だっだけど ポカポカで暖かだった
ある夜は・・・風呂上がりのすっぴんに帽子かぶり近くのIKEAへ
昼間とは打って変わって すんげぇ〜空いてるw
久しぶりに雑貨類を買い込んで 締めのソフト
明日は行きたい所があったけど 寒すぎるから行くのや〜めた
さくの体が冷えちゃうからね
「おまけ」
仕事中の買い物で 「本田家」前を社用車で通過〜
行きと・・・帰り道・・・
しょっちゅう通るのに どうしてもよそ見しちゃうわ