先月の伊庭八郎の朝涼忌で ご挨拶させていただいた
彫刻家の金子マコト氏と「佐藤彦五郎資料館」へお邪魔して来ました。
「金子マコト(誠)」 彫刻家
去年初めて海外デビュー。フランスはパリのルーヴル美術館にて作品展示。
開館日で沢山の方が見学に来られており、お忙しい中では御座いましたが、
佐藤ご夫妻がご対応下さいました。
有難う御座いましたm(_ _ )m
市村鉄之助は土方隊長の小姓を勤めていました。
箱館五稜郭内の一室で、「今日はその方に大切なる用事を命ずる。
それはこれから、江戸の少し西に当る、日野宿佐藤彦五郎と云う家へ落ちて行き、
これまでの戦況をくわしく申伝える役目である。
・・・・・・・。この写真と書付を肌身に付け、乗船して佐藤へ持っていけ!」と。
「日野の佐藤は、必ずその方の身の上を面倒みてくれる。途中気を付けて行けよ」
そう土方歳三に送り出された市村鉄之助。
鉄之助が彦五郎さんの元へ届けた写真一枚と小切紙。
その写真は洋装に刀を手挟む土方歳三で、小切紙は半紙の端を二寸ばかり切ったもので、
「使の者の身の上頼上候 義豊」 と書かれていた。
鉄之助は明治四年三月まで、日野の佐藤家に世話になった。
彦五郎は鉄之助に、読み書き手習い、撃剣も教えてやった。
歳三の形見をやっとの想いで日野まで届けてくれ、東北地方転戦の模様から、
函館滞在中の事、五稜郭戦争の事などを佐藤家に伝えたのだと言う。
「聞きがき新選組」参照
この作品は初期の頃に作った彼自身個人的に思い入れのある作品だと聞いております。
その思いの詰まった土方歳三を彦五郎さんの元へという想いがあるとも。
私もその気持ちはわかります。
動きますよ!この像www
今頃 資料館の中を走り回ってますよ、きっとw
それと・・・忙しい合間を縫って製作中の・・・・・
言わなくてもわかりますよね^^
後ろから抱き付きたくなる背中です!ドキ(✱°⌂°✱)ドキ
「歳さん 素敵~~~~~」
出来上がりが楽しみです!
(この作品は京都の旧前川邸に奉納されているそうです。)
私のスマホで画質が悪いですが><
福子さんと金子氏
(金子さん・・・実は私の兄貴にちと似ていますw)
福子さん いつもですが和服姿が素敵です^^
金子氏が歴史上の人物を作った最初の作品がこの「伊庭八郎座像」
なのだそうです。
すべては そこから始まった。
デビューが家康公のしかみ像。
そしてフランス行きが篤姫像。
フランスへ行くならと伊庭八郎こと伊場七郎像をつくったそうです。
徳川方の人々がターニングポイントになり、そして八郎さんと心形刀流が
人生を変えていくものになってきました。
自らも心形刀流を始め、この小さな八郎さん人形から始まり、
伊庭家の菩提寺「貞源寺」にも伊庭八郎像が入っております。
旧前川邸へも作品を納めさせていだたいているそうです。
そして増上寺から玄白先生の菩提寺「栄閑院」へ。
京都の霊山博物館機関誌「維新の道」に金子氏の論文がでています。
桜も新選組に興味を持ち、一人で史跡巡りに出掛けて、板橋で執り行われた法要では
今もつきあいのある大事な歴女仲間ができました。
福子さんをはじめ、新選組隊士のご子孫や縁戚の方々ともお会いする事ができ、
日野宿の昔話や歴史について詳しく教えて下さる方とのお話は、それはもう時間を
忘れてしまう位楽しくて・・・・。
そして・・・京都の霊山歴史館に行ってしまう前に、持ち主の方に逢わせていただく機会を与えて下さった方のおかげで、「大和守源秀國・(幕府侍土方義豊戦刀」を目の前で
拝見する機会にも恵まれました。
その方の繋がりから、薬丸野太刀自顕流の方々にも出会え、体験にも混ぜていただきw
伊庭八郎さんを追いかけて、又こうして金子さんとお会いする事ができました。
本当の始まりは、日野市万願寺に住む妹の一言・・・・
「え?新選組って、そういやぁ家の近くに土方歳三のお墓があるよ!」でしたww
「同じ多摩の生まれじゃないの! 土方さんってば!」
新選組の事をまだ何も知らない私がのめり込むのには時間はかかりませんでした。
これ一番好き(*´﹃`*) この八郎さん・・・
伊庭八郎の坐像は「伊庭家」に納品されています。
伊庭八郎の丸橋の構え
本物の浮世絵
先日もブログでアップしましたが、伊場七郎こと伊庭八郎像。
浮世絵から飛び出してきた八郎さんでござる゚+。:.゚(*゚Д゚*)キタコレ゚.:。+゚
ルーヴルと東京での彫刻展でしか出してないので一般では初めての公開でした。
そして、他にも多くの作品がある中の一部をご紹介します。
「近藤勇坐像」
「永倉新八」
永倉さんは、伊庭さんと同じ「心形刀流」を坪内主馬の元で学ぶ。
そこで同じく心形刀流を学んでいた島田魁とも出会ったと言われております。
この像は丸橋の構えで 心形刀流の基本です。
伊庭八郎さん繋がりともなる「杉田玄白先生」。
伊庭八郎さんを横浜の尺振八宅へ行く前までの間匿ってくれた人が
玄白先生の孫娘の、乙骨太郎乙の奥さんなのです。
・乙骨 太郎乙(おつこつ たろうおつ、(1842年~1922年7月19日、幕臣・
明治時代の様学舎・ 翻訳者。江戸産まれ。漢・蘭・英語を修得。)
・尺 振八(せき しんぱち、1839年9月16日~1886年11月28日)
江戸時代末期から明治時代初期にかけての日本の様学舎、
教育者。幕臣。))
第一回天祭一〇八に出た事により縁が広がり、今があるという事です。
又「へうげもの」の制作にも携わさせてもらった事で、さらに縁が広がって行ったようです。
(へうげもの=山田芳裕『へうげもの』はモーニングで隔号連載。)
この像の依頼は天祭の時に増上寺に勤めている栄閑院の方からのお話だったそうです。
菩提寺である栄閑院に納めた後、玄白先生200回忌の玄白忌にて、この像は子孫の方々に渡されています。
色彩仕上げの玄白先生像の画像をもらい忘れましたが><
色が塗られた玄白先生像は子孫のお宅に納められております。
「徳川家康公」
2013年の年末に増上寺へ奉納されている作品「家康公のしかみ像」。
家康公を奉納した証に・・・増上寺奉納帳に金子誠の名前が書かれている。
増上寺で開かれる「天祭 一○八」に「馬上の土方歳三」「座像の土方歳三」を含む
15作品が展示されました。
※ 「天祭 一〇八」は、広く一般に開かれた「ものづくりの市」であると同時に、
私達の生きる現代を象徴する作品を「増上寺現代コレクション」として
選ぶための審査の場でもあります。
一次審査を通過した人だけが展示を許されるようです。
初日に増上寺のお坊さんが見に来て下さり、お褒めの言葉をいただいたそうです。
そして、「徳川家康公のしかみ像」を見て話が進み、なんと・・・・
増上寺に奉納が決まったそうです!
ちなみに・・・
伊庭家の菩提寺である貞源寺の住職は増上寺で修行されていたそうで、
ここでも八郎さんがらみで繋がっている事にビックリ!
金子氏・・・背中に八郎さんが憑いてるな^^
「古田織部像」
「へうげもの」編集さんから頼まれ製作したのがこの作品。
着物の模様も原作「へうげもの」から。(頭巾は脱着可)
コチラの像もご子孫の方へ納品されてます。
「加藤清正公」
コチラは浅草の「まるごとにっぽん」こけら落とし用に製作されたもの。
この後に動きが・・・・
「篤姫」
初めて女性像作った「「 十三代 御台所 篤姫」
女性の顔の製作は難しかったようです。
眉の位置とか形とか諸々・・・
以上の作品の他にも、坂本龍馬、桂小五郎、東郷平八郎、西郷吉之助、勝燐太郎安房之守、中岡慎太郎、乃木希典、秋山好古と弟真之などもありますが
残念ながら画像は持っていませんので ご紹介できません。
とあるかたの紹介で京都の旧前川邸より作品展示のお話をいただいたり、
知り合いに茶道のお稽古に誘われて行った先の先生から 利休像のお話をいただいたり、
一つの縁も大事にされてきたから 又そこから新たな縁が広がって行くのでしょうね!
これから製作する作品も、現在進行中の作品も楽しみにしております。
「おきばりやっしゃ! 金子はん」