わらべ積木くずし | 【ジキルに恋したhyde】

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逆説とゆう意味を知った時にやっと意味が繋がった気がしたけど…

*極彩切開*~ジキルとハイドから月の破片までの過激な自伝いちいより。-SN3S0103.jpg

「高部知子」のまとめ
東京都文京区
死没地 =
国籍 = 日本
民族 = 日本人
血液型 = B型
生年 = 1967
生月 = 8
生日 = 25
没年 =
没月 =
没日 =
職業 = 俳優・作家
ジャンル =
活動期間 = 1980年から
活動内容 =
配偶者 =
家族 =
公式サイト =
主な作品 = 『欽ちゃんのどこまでやるの』
『積木くずし』
アカデミー賞 =
AFI賞 =
英国アカデミー賞 =
セザール賞 =
エミー賞 =

ニャンニャン事件
人気絶頂の最中の1983年(昭和58年)6月、高部がベッドで裸体に布団を掛けた状態で煙草を咥えた様子を捉えた写真が写真週刊誌「FOCUS」に掲載され、性行為疑惑と未成年喫煙疑惑が浮上(ニャンニャン事件)。この影響で高部は出演中のテレビ・ラジオ・CM全てを降板。主演予定だった劇場版『積木くずし』も代役が立てられ宝泉薫「くずれっぱなしの病理 高部知子、穂積由香里の積木くずし」『芸能界一発屋外伝』彩流社、1999年、p.125.、堀越高校を無期停学になり謹慎を余儀なくされた。この事件によって、清純な少女タレントというイメージが壊れてしまった。事件当初、高部は欽どこファミリーを謹慎するという扱いだったが、その後に完全に降板(わらべからも除名、萩本も「破門」の烙印を押した)となった「週刊女性」1983年9月27日号の萩本欽一の発言(宝泉薫「わらべ "古きよき子供"たちが演じた三人三様の明と暗」『オルタブックス004 アイドルという人生』メディアワークス、1998年、pp.76-79. )によれば、高部の元恋人が事件の余波で自殺し、元恋
人の家族に配慮するという理由。。以降、わらべは残りの二人(倉沢淳美、高橋真美)だけで活動することになり、それを見栄晴、真屋順子らが欽どこファミリーとしてバックアップした。

謹慎明け以降
やがて無期停学処分が解け、学業に専念する姿がたびたび目撃されていた。しかし芸能ニュース等で大きな話題になることもなかった。芸能活動の謹慎が解けた後、1984年に1年3ヶ月ぶりにTBS系の連続テレビドラマ『転校少女Y』の主役で本格復帰『TV青春白書~僕たちの卒業アルバム~』東京ニュース通信社、1995年、p.134。。岡村孝子のバックアップを受けてソロ・アルバム『雨・ア・ガ・リ』も発売したが、大きな話題とはならなかった。
堀越高校卒業後、22歳で幼馴染のコンビニ店長と結婚し、芸能界を引退。鶯谷にあるコンビニファミリーマートの経営を手伝い、2人の子供をもうける。夫は度々浮気、コンビニアルバイト女子高生のもとに行ってしまい離婚する。その後再婚するが、また離婚。1999年芸能界に復帰し、局部にピアスをつけたヌード写真集『Object D'amour』を発表する。2001年官能ビデオ『パラノイア』に出演深井一誠「昭和芸能史13の事件簿 高部知子 ニャンニャン写真の波紋」『新潮45』2005年9月号、新潮社。。
2000年に入学した慶應大学文学部哲学科通信制水道橋博士「[http://blog.livedoor.jp/s_hakase/archives/50327991.html 水道橋博士の「博士の悪童日記」]」2000年4月20日。を2006年に卒業、2008年4月精神保健福祉士を目指して福祉系大学の通信制に入学した「趣味は民俗学「高部知子」は神田「古書店街」で有名人」『週刊新潮』2008年5月1日・8日合併号、新潮社。

東京都生まれ。幼少期は病弱で、読書が趣味だった。一方で、読んだ書物の登場人物になりきって演技を試みる癖があった。