8年前の春。
私は、シングルマザーの経済は決して安定とは言えなかったものの、
娘の「進学の夢」をどうしても叶えてあげたい。
その一心で、長年住み慣れた仙台を離れ、関東へ引っ越すことを決めました。
5年前までは夫もいて、4人の子供たちと賑やかに過ごした仙台のマンション。
そこにある膨大な荷物と向き合い、断捨離を繰り返す日々は、
まさに「覚悟」と「行動」の連続でした。
そんな怒涛の引越し作業の中で、私が何よりも先に、一番大切に車へ積み込んだもの。
それは、私の仕事のパートナーであり、大事な収入源でもある「米ぬか発酵液」たちでした。
新生活の舞台となる埼玉の貸家へ、引越し本番に慌てないように下見に行き、
「ここで待っていてね」 そう言い聞かせるように、私は発酵液たちを空っぽの家に置いて、一旦仙台へ戻りました。
それから1ヶ月。
ようやく全ての荷物をまとめ、4月の春風とともに埼玉の家に到着した私たち。
真っ先に発酵液のもとへ駆け寄りました。
「1ヶ月もお留守番、ご苦労様!」 再会を祝うような気持ちで、ボトルの蓋を開けた、その時です。
「……えっ?」
そこにいたのは、いつもの元気な発酵液ではありませんでした。
仕込んでから1ヶ月以上。とっくに完成し、芳醇な香りを放っているはずの液が、
どんよりと濁り、まるで生命力を失ったような「顔」をしていたのです。
恐る恐る、シンクでボトルを傾けてみました。
どろどろ、ねば〜〜〜……。
別のボトルも、その次のボトルも。 すべてが、変わり果てた姿になっていました。
「どうして? 温度? 環境?」 頭で理由を探そうとした瞬間、ふと、声が聞こえた気がしたんです。
「……寂しかったよ」 「会いたかったよ」
その瞬間、私は自分の矛盾に気が付きました。
発酵液がこちらの気持ちに敏感なのをいつも楽しみとともに感じていました。
なのに、1か月前、単なる「物」として扱い、ここに置いて行ってしまった....
発酵とは、目に見えないほど小さな微生物という「生き物たち」の営みそのもの。
私だって、もし何日も、何十日も、誰にも声をかけられず孤独に耐え続けたら、どうなってしまうだろう。
彼らは私に発酵ではなく「腐敗」という形で教えてくれました。
愛を注ぎ、関わり続けるなかで、健やかな命が育まれるのだと。
喧嘩もするし、不満を言ったりもする。
それも過ぎてみれば家族の愛の関わりだったことがわかります。
それは微生物に限らず、人も全く同じような気がします。
目に見えないほど小さな彼らに、人間にとって、そして家族にとって一番大切なことを教えられたのです。
もし今、この記事を読んでいる人の中に、
「自分なんて、誰からも必要とされていない」
「孤独で寂しい」 そんな風に息を潜めている人がいたら、伝えたいことがあります。
無視されたり、孤独の中に置かれたりして、心が折れてしまう、それは、あなたが弱いからではありません。
人間として、当たり前の反応なんです。
だって、人も、微生物も、命あるものはすべて「関わり」の中で生きるようにできているから。
無視や孤独、それでも平気でいられる人は結構頑張って強がっている気がします。
(私もシングルマザーなりたてはそうやって自分を鼓舞して疲れました)
自分を責めてしまったり、自分に自信がなくなることは
素直で温かな心、まっとうな命を持っている証拠。
だから、あなたの価値は
誰かに無視されたからといって、1ミリも減ることはありません。
発酵液がまた新しい「関わり」と触れ合って、ゆっくりと呼吸を取り戻していくように、
あなたもまた、いつからだって輝きを取り戻せる。
ボトルを開けるたび、私は自分に、そしてあなたに語りかけます。
「 大丈夫。今日も、あなたはあなたのままで、十分素晴らしい。
ゆっくり発酵していこう」
