最近座禅をする


お寺で修行時代は毎日やっていた


朝の四時から毎日だ


常に睡魔との戦い

修行僧は常に寝不足だから余計に眠い。


そして叩かれると本当に痛い、叩かれる音はまさに雷の音


一般の方にやる「ポン」なんってレベルじゃない  「ドドドッカカーーンンビッビッシーーッ」 マジで大袈裟ではない。




そんなこんなで、当時は座禅の良さに気づかなかった。 


むしろ『気づけなかった』


だか今は座禅の素晴らしさに『気づいた』



毎日座禅をして今何を考えているか、何を感じているか解るようになってきた。心も満たされるようになった。





ブッタは「この世は空である」と説いた。


悩み、苦しみ、嫉妬、それらは形がない。


空のように実体が無い物であると。


だか人間は無いものに執着し、それがあるように苦しんでしまうと。




瞑想をしてると沢山の考えが浮かんでくる。

過去や未来


だが、その考えも形なく自分が作り上げているもの


ここ最近「今、煩悩が浮かんでる」「煩悩が形として現れてきそう」と座禅中に認識できるようになった。煩悩に振り回されなくなってきた。




ふと思った。

煩悩とは「風船」ではないかと。

掴んでれば浮き続ける、離せば飛んでいく。


瞑想中は『雑念が沸いたら雑念を追いかけるのではなくそのままする』勝手に飛んで、気づいたら何も持っていないから。