2014年に旅立った初代愛犬が余命宣告を受けた日が近付いてきた。





詳しくは書けないが、


初代愛犬は最大の許しと愛を持って、私を救う為に私のそばへやって来た愛犬だった。



そして、それを今の愛犬に引き継ぐ事も、もうずっと前から決まっていた事だったようだ。



なぜなら、私が私を憎む原因が発生した時を象徴する数字の羅列が、私と初代愛犬と愛犬のお誕生日ナンバーを綴ったものなことを後で発見するから。




これらの苦しみも、初代愛犬によって無償の愛を知ることも、私の人生の青写真に組み込まれた計画だったんだね。






その初代愛犬が14歳の時、少し咳をするようになった。




動物病院へ行ったら、


まさかの後1ヶ月の


余命宣告だった。




肺のレントゲンは白い水玉模様で溢れていて、外科の得意な院長でももう成す術がなかった。




2014

余命宣告は5/23、


旅立ったのはその年の夏、8/8だった。








余命宣告を受けた日から、


最後までずっとこの子のそばにいる!



そう決めて当時ハマっていた水泳を全て止めた。


プールへ行く為に自転車で門を出る私の姿を、初代愛犬は必ず一番近い窓のカーテンをかき分けジッとみつめていた。

後で思えば、初代愛犬はもうさよならが近付いているのを感じていたのかもしれない。





院長からは、暑いと息がしにくいので涼しくしてと教えてもらった。



一緒に過ごす部屋の南の大きな窓はその日からずっと雨戸を閉めっぱなしにした。

西の窓には銀の反射紙で光を遮った。


一番クーラーが効きやすい場所にベッドを置いてクーラーは24時間付けっ放しにした。


私が寝る時は、初代愛犬に体が当たらないように気をつけて一緒にベッドで寝た。




寒いのが嫌いだった初代愛犬は、寒い部屋で体を冷やされて最後の日々を送った。






1日でも長く生きて欲しい!




ただそれだけだった。



愛犬のそばで、効きそうなサプリや食物を検索するのに必死だった。



普通に過ごせたがすぐに止まって酸素を探すようになった。

フセをしたままフンフンと軽く息を吸いながら首を回して、酸素の取り込める場所を探しているようだった。


横向きに寝れる時は具合の良い時だった。


そのうちベッドの所定の位置でずっと過ごすようになる。

肺が潰れないように、息がしやすいように、柔らかい大きなウサギのぬいぐるみを胸のところに置いて斜めフセみたいな状態をキープした。



酸素室に入れてしまえばそれが一番無難だった。


でも、酸素室に入れたら、その中で死を待つだけになる。


抱くことも出来なくなる。


それだけは避けたかった。




酸素吸入器を付けた。


初代愛犬は外でしかトイレが出来なかったので早朝の涼しい時にカートに乗せて、酸素の缶詰めを持って散歩させた。



それも厳しくなって、玄関を出た脇へ抱っこしてトイレへ連れて行くようになった。



洗面器に水を入れて、すぐ服をビショビショに出来るようにして体が暑くならないようにそれを着せて抱っこして外へ出た。



ペットシートではどうしてもトイレが出来なかった。 

なので防水シーツを床に敷いてみた。

そしたら、そこでオシッコは出来るようにもなった。


防水シーツを何枚も使って取り替えひっかえ新しいシーツを敷いた。


失敗してベッドのシーツが濡れる事は殆んどなかった。


夏で良かった。


洗った防水シーツは暑い庭ですぐに乾いた。






途中で15歳のお誕生日を迎えることが出来た✴️






最後の朝、抱っこして外でトイレが出来た。


その往復の場所が、昨年たくさんの四つ葉、五つ葉、六つ葉で溢れた場所だ❇️





8/8早朝


最後に抱っこで外でトイレをした時間を迎えることなく、


私の腕の中で、フゥッと大きく息を吐いて、


体から抜けて行った。







あの時ああすれば良かった、こうすれば良かった…



泣きながら


ドライアイスでもっと冷たくなった初代愛犬に「ごめんね」と、手で触れようとした瞬間、




ごめんねはいらない


もう何も心配することはない



と、心に直接伝わったんだ👀





初代愛犬からの旅立ちのメッセージ👀❇️





それなのに、それでも、


それから長い間、ああすれば良かったこうすべきだったと後悔することになる。




旅立った愛犬は残してきた飼い主の悲しみに寄り添い、ずっと雨の降る暗い場所にいると後で知った。

飼い主の笑顔を見届けてやっと、愛犬は何の心配もない虹のたもとへ移動することが出来、楽しく幸せにいずれやってくる飼い主を待つんだ。



その話しを知って慌てて軌道修正した💦



最初から、初代愛犬の言葉を素直に受け入れればよかったのにね。


後悔の背後には深い悲しみがあったと思う。

「死」=「悲しみ」とは違うと、初代愛犬は既に知っていて教えてくれたんだね❇️







それから今日まで、色々ことに気付き得心して私は随分と成長した。




上手に出来なかったことだらけだったとしても、


今は初代愛犬との時間を後悔はしていない。




それがその時の私のせいいっぱいで、


未熟な私を受け止めるだけの尊い初代愛犬だったと知っているから🙏💕





必ずやってくるお別れの時が「余命宣告」という形だったのは、衝撃ではあったけど本当はとってもありがたい事だったと思っている。




今の私なら、


残された時間を長生きさせる為に使うのではなくて、



愛してるとありがとうをいっぱい伝えて、色々な思い出を一緒に回想すると思う。



早い段階でお友達ワンちゃんに会いに来てほしいとお願いするだろうし、家族にもお願いする。


いっぱい抱いて撫でてもらう。


笑えるうちにいっぱい笑って私の笑顔を見せて安心させる。


初代愛犬の絵を描く姿もいっぱい見せる。

きっとその時の私の表情はワクワクの真剣さで溢れてるだろうから。



そして、初代愛犬をいっぱい褒める✨


面白くて、賢くて、チャーミングで、可愛くて、褒めるところしかない初代愛犬をいっぱい褒めちぎる❇️



言葉にしていっぱい褒める


言葉にしてありがとう、大好き、愛してるを伝える



言葉に発した音は、思いよりも強い力で宇宙をずっとずっと永遠に漂っていくと思うから





もうすぐお別れだと悟った魂は、現世の会いたい人に会いに行くというよね。


もしくは、旅立った時に会いに行くって言うよね。




私が逆の立場だったら、


笑ってて欲しい。

楽しくしていて欲しい。


愛するものの幸せな姿を見て安心して次の世界へ行きたい。





悲し過ぎてそれは無理…


そうだよね。愛するものの形が今消えようとしてるのに、笑ったり楽しかったり出来ないよね。


旅立つものもそれは理解してる。


旅立つものは、せめて早く元気になってねと感謝と共に願うしかないだろう。





でもさ、私の今世最後にして最大のイベントなんだよ。

素晴らしい人生だったね✴️

あんな事もこんな事もあったよね✴️

楽しかったね、頑張ったね、君の人生は誇らしいぞ✴️

って褒めてほしいよ😆






決めた!


今そばにいる愛犬が、さようならをする時は、


笑って、ギュ~と抱き締めて、愛してる大好きありがとうをいっぱい言って、あんな事こんな事あったよねとお喋りして、いっぱいい~ぱい愛犬を褒める✴️



大丈夫👍️ 初代愛犬や小さな命達が待ってるから大丈夫だよ👍️


私も大丈夫👍️ 次々と小さな命がやって来てくれるし、何よりまた会えるって知ってるから💕


って、安心させる✴️




顔は涙で笑ってるのかわからないかもしれないけど、私は笑顔で送る✴️




見届けて、そしてまた私は成長して、


誇らしい姿を見てもらえる日まで


私は生きる!






今、ここで、そばにいれる奇跡❇️


触れる事の出来る奇跡❇️


明日もその次の日も一緒にいると信じている奇跡❇️





私は、こんなにも幸せな奇跡の中に生きている✴️