アメリカ大使館のビザ申請の待合室で、

ヒマすぎるので(?)、

周囲の人々を観察するようになります。


たぶん、みんなしてると思います・・


家族連れ、赤ちゃん連れの人、

なんか知らないけど3~4人で来てる人、

スーツ来たサラリーマン・・・


もちろん、アメリカに関係する人なので日本人だけではなく、

いろんな人がいます。

ヒスパニック系の方も多いかな。


なかでも、

中国人や韓国人らしき人の名前が多く呼ばれることに驚きます。


たぶん、日本では日本名を使っておられる、在日の方々。

日本語も流暢で、面接官の方と日本語で話しています。

っていうか、個人的には私たちと外見同じです。


いろんな人がいるな、って見ていると、

自分が、「ビザを取るには恵まれている」ことに気づきます。


まずもって、

うさんくさい外見を持ち合わせてしまっている人っていうのはかわいそう。

ま、ビザを取るときぐらい、もう少しまともな格好で来たらいいのに、とも

思っちゃうけど。


それ以上に、台湾の方の面接が自分に響きました。


どうやら観光ビザをとるだけのようなのですが、

「あなたの持っている身分証明書は、アメリカの法律では身分証明として認められて

 いませんので却下です。」


「そんな、、、台湾のパスポートは、台湾に住んだことがある人にしか

 発給されないのです。だから私はこれしか持っていないのです。」

(きっと、この方は日本で生まれ育ったから台湾のパスポートをもてないらしい)


「でも、アメリカではその書類では認められないのです」


「観光だけなのに・・・」


10分以上のやり取りがあった後、

彼女は書類を全て返却され、唇をかみしめて大使館をあとにしました。



・・・それってどうなのよ!


じゃ、あの人がアメリカに観光に行くためには、

まず台湾に住まないといけないってこと???

台湾に住んだら、すぐに発給されるの??

されないのかも・・

住むって定義は何?!?!


あの面接官さんが悪いわけじゃない、

そして申請していた彼女が悪いこともひとつもない、

それでも、お互いに決められたルールのために、前に進めない。


私は、そこにいた彼女より優れているということもないし、

同じ日本の土地に生まれて育っている点で差はひとつもないのだけれど、

自分ではどうしようもないことのために彼女は却下されて、

私は簡単に発給される。


さらに考えをめぐらせると、

私は、世界中のどこにでも行くことはできるけれど、

ムスリムの人たちの行かれる国っていうのは、とっても限られている。

もちろんそれを望んでいないかもしれないけど、

豚肉を食べる国にはまず、行けないものね。


これが、

どちらが幸せかということの定義づけにはならない、

それでも、少なくとも自分たち日本人はあふれるほどの自由をもらっていて、

ただ使っていない、もしくは使い方を知らないだけなのだ、という気がしてきます。