まだ夜の闇に包まれていた神戸の街が
大きな地震に襲われたあの日から
今日で23年が経ちました。
震災が発生した午前5時46分に
犠牲者の方々の御冥福を御祈りし
テレビ越しではありますが、
1分間の黙とうを捧げさせて頂きました。
あの日私はまだ小学校3年生でした。
早朝いつものように目を覚まし、
いつものように今へ足を運んだ
私がテレビに見たのは……、
大地震で大きく横に倒れた
道路の無残な姿でした。
その時の事は今でも鮮明に
記憶の中に残っています。
それから16年後の
3月11日午後2時46分。
今度は私自身も東日本大震災による
震度5強という強い揺れに見舞われ
今まで経験した事の無い
猛烈な死の恐怖に襲われました。
でも私よりも大好きな家族や友人を
喪ってしまわれた方々の方が
より深い傷を心に負ってしまわている。
ニュースでその事を見ているうちに
揺れだけで済んだだけで怖かったなど
自分はなんてバカなんだと思いました。
どちらの震災のせいで多くの尊い命が
叶えたい夢を未来を生きたかったのに
叶わず喪われてしまった中で
自分は今もこうして安穏と呼吸している。
なんてバカなんだろうと……。
あれ以来毎月母に会う度に言われる、
「生きているだけでも十分恵まれている。
その事を決して忘れてはいけない」
という母の言葉を考えるようになりました。
生きているのは当たり前の事では無い、
生まれた事と同様奇跡に等しいもので、
日常生活で辛い事があったからって
簡単に自ら捨てるのは身勝手過ぎる、
生きられなかった人が多い世の中で
こうして生かして貰っている事を
噛みしめて一瞬一瞬を大切に
生きなさいという意味なのだろうと、
毎年この日を迎えるたびに思います。
23年の月日が経ち高齢化によって
震災の記憶が風化される事が
懸念される中で若い世代にも
震災の記憶が伝わって行き、
今の世の中に自分が生きている事が
どれだけ有難い事なのかを
少しでも多くの若者が考えてくれる事を
心の底から強く願っています。