最近色々考える。

人間らしさ。人生そのもの。

この年齢になったからかもしれないなぁ。43歳。

もうすぐ同級生の一周忌が来る。

今でもあの共通の友達からの泣きながら掛けて来た電話を思い出すと震える。

私の仕事中に絶対に電話をかける様な子じゃない。そんな友達からの着信。

その時点で予期は出来たけど、何も経過を知らなかった私は想定外の事に真っ白になった。

私の中では元気でいるはずの突然の友達の危篤の知らせが。

あれからもぅ一年が経とうとしてるんだね。

彼女は小細胞癌という、癌の中でも厄介な病魔にみまわれた。

彼女は4人の子供を持つ、あの細い身体でありながら、とても活動的なパワフルな女性だった。

そして自分は忙しい身でありながら、いつも親身に人の世話をやいて、励まし、頑張れ!って言ってくれる、友達に本当に優しい人間だった。

学生時代はヤンチャで、不登校になった彼女の家に私と友達達が代わる代わる、先生にお願いし、授業を抜けて説得に行ったもんだ。

学生の時の彼女は迎えに行った私達に『雨が降って髪の毛が上手くいかないから今日は行かない~』とか、『お腹空いたよ~』と言い出して、途中ファミレスに行ったりと一見ワガママなのだが、実は私達はそうやって彼女達と居る事が凄く楽しかった。

結局、彼女は学校は私の毛色が合わないと高校を中退してしまうんだけど。

彼女が辞めた後も、進学校だったうちの高校に似つかわしくない、アウトローな人達が、通学する学生に彼女は居ないかとよく訪ねて来て、男子達はビビっていたな(笑)

私もそのアウトローな友達紹介されて、怪しい車に一緒に乗っけられた時は、どうなる事だろうと思ったりした事があったが、みんな外見とは違い、優しい人ばかりだった。

今にして思えば、忙しく働く両親から愛情を感じられず、外に愛情を求めてた彼女の場所が此処だったんだろう。

そんな彼女の思いとは反対に彼女の両親は子供達の為に、懸命に働いていたんだけど。

そんな彼女も結婚し、母となり、すごく変化した。

子供中心に、地域活動にも積極的に参加し、子育てママの憩いの場を作るべくママさんサークルを立ち上げたり、本当に身体がいくつあっても足りない様な状態!

誰にでも社交的にニコニコ話しかけ、親身になったり、一緒に泣いたり笑ったり出来る、本当に素晴らしい人だった。

だから本当に友達が沢山いて、みんなに本当に愛されていた。

私も大変な時期には、忙しい身でありながら、どれだけ彼女に助けて貰ったか。

遊びに誘ってくれたり、就職で知人の社長さんを紹介してくれたり。

彼女には感謝してもしきれない。

そんな彼女の人柄を目の当たりにしたのが、悲しいかな通夜の夜だった。

あんなに沢山の参列者の通夜を私は今までに見た事がなかった。

あまりの参列者の多さに一回ずつのお焼香になったくらいだ。

それでも長い長いお焼香の列はしばらく途切れる事は無かった。

友達と、私達のお葬式はこの10分の1も集まらないだろう。と言いあった。

まるで芸能人の葬儀の様だった。

そして彼女を一番に慕う4人の子供達の涙に耐える姿も、心を締め付けた。


そんな彼女が天国にいってから1年が経とうとしている。

私はちゃんと生きてるかな?

胸張って生きられてるかな?

恥ずかしくない生き方してるかな?

彼女の様には到底なれないけど、毎日ニコニコ元気に生きてるかな?

私の出会った身近な人達だけでも、幸せに有る様に何か助けられたら良いなぁと、彼女を思い出しては、自分に問いてます。

ちゃんと生きていこう。

さかいゆう
『君と僕の挽歌』



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