反省って大切。 | 桃:英語大好きさんのブログ

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読んで下さりありがとうございます。
元々大好きな英語について書いていたブログですが、
今は持病である子宮内膜症について日々の闘病生活を中心に色々書いています。
よろしくお願いいたします。




大人になればなるほど、
反省することって増えた気がします。

これは仕事だけではなくプライベートでも。
でもこれっていいことだと思っています。

反省すべき数はむしろ子供の頃の方が無意識のうちに傷つくことを言ってしまったり、大人な対応ができないから多いんじゃないかなと思うんだけど、

自覚したり、自分の非を認めることをちゃんとすることが増えるのは、分別がつくようになるのは、大人になればなるほど…という感じがするから。

そんな中、反省する、とか自分の非を認めるって、

苦しいことだと思いませんか?

だって嫌だよね?
言ってしまえば、反省するということは
特にやらかしたなって自覚があればあるほど、それを"わざわざ"自分の中でリピートして再確認する作業だから。(場合によっては他人からも責められるし。自他共に責める作業とも言えるかもしれないからキツイですよね。)

私も人間だから、持病になってからとかなる前とか関係なく、1人の未完成な人間として

人の心を傷つける言動をしたことがないと言ったら完全な嘘になります。 というか、誰でもそういう失敗はあると思うんです。ない人の方が珍しいかも。

でも、相手だって悪い。てかなんとなく相手が元々嫌いだし。という個人的理由や都合で、
自分が100-0で悪いことをしてるのにも関わらず逃げたりその人ともう関わらないようにする。会わないからいいやっ!

これも場合によってはありっちゃありなのかもしれない。勝手ではあるけど一つの自分の身を守る方法なのかもしれないから。

まぁ他人ならね! それもあり。ホントはダメだけど。

でも、親戚や職場などで関わらなければならない相手だったらどうかな?  

自分のすぐ身内に対しては
自分は悪くない、相手のせいだと
騙せてもされた本人はどんな気持ちなのかな?とか

結局、一番悪いことを分かってるのは傷つける言動をした本人なんですよね。

私も、ちょうどハタチくらいに
理由を言えば、言い訳をすればチラホラ出てくるけど

やっぱり良くなかったよねということをしてしまいました。

その後、
それこそ大学生の頃でその相手と関わらなければならないゼミや講義があってイヤでした。(自分が悪いのにね)

自分を守るためにその相手がどれだけの範囲の人に私のやらかしを伝えているのかが怖くて、
(やられちゃった側からすれば誰に言おうが勝手だし、その権利があるしね。)

私はそんな人じゃないんですよキャンペーン(アピール)をしたりしましたが、すっごい惨めだしバカみたいだったし、何より相手の子に申し訳なかったです。

私の場合謝罪はしたんだけど、その後の振る舞いもキツかった。

これを考えると、

された人よりも
した人(やらかした人)の心の方が本当は心ってズタズタなんじゃないかなと思うことがあります。

嫌なこと言われた、された人からすれば冗談じゃないよ!って話なんだけど

やらかした人って、大体は自分が悪いこと分かってるから、できるはずのない自分に嘘をつくということを常にチャレンジしながら行動することになるから、

そこに矛盾ができて、しかも相手も怒ってるだろうからと謝罪がどんどん遅れて、結局出来なくて

自分の中の黒歴史になっちゃうんだよね。

された方も、あまりにも長い期間謝罪がないと
心が救われないんだよね。

私の場合、身内の親戚から嫌なことをされたわけだけど、

未だに救われないなと思いながらたまに思い出す程度にしてるけど、どこかモヤッとしていて。

本当に会わなくてもいいならこのまま私も気にしないままでなんなら徐々に忘れていきたいですが、

祖父母も高齢になってきたからこそ
また集まるべきなのでは?…と思うできことがあったんです、最近。
これを書いた理由はこれです。蒸し返すとかではなく、祖父母のことを考えたから。



あなたはすぐの身内に自分は悪くないって騙せたのかもしれないけど 

そのときに私が
あなたから嫌なことを受けたと知っている人も集まることになったとき、あなたはどう行動するつもりなの?と思う。

私の経験上、やらかしてしまった側に立ったこともある経験上、めちゃめちゃ辛いですよ?と言いたい。

なんかね、結局やらかしてしまった人は
やらかした瞬間、相手のことを傷つけるのはもちろん、

自分自身のことも傷つけることになるんだよ?ということを

どちらの側にも立ったことがある私からしたら
大いに感じることがあります。

そして、逃げたとかではなく、
転勤などで会うことができない人の中でも

子供の頃にやらかしてしまったことで謝りたい人がいますが、

もうね、そこまで経つと謝れないんですよ。
連絡の取り方も分からないし、どこに住んでるか分からないから。

これはどんな形であれずっと心に引っかかってくることだから、

本当はね、やらかさなければいいんだけど
そういう経験ゼロというのも人間難しいと思うんですよ。

だって天使や神様じゃないんだもん。当たり前です。やらかします誰だって。

謝ることのできるうちに謝ればお互いが救われるのになと思うのと同時に

たまに、本当にたまーにとはいえ、関わらなきゃいけないとき、どうするつもりなのかな?と考えると



反省することってさっきも書いたように苦しい作業だからこそ、できる人はステキだし、大人だなと思います。

こんなこと書いてても、これから私が間違ってなのか、ムカっとしちゃうからなのか、

失言してしまうことあるかもしれないけど、(ないとは言えないよね)
そのときはちゃんと謝って反省するという作業をしていかないと、

人に頼ることも、頼られることも、付いてきてくれることもきっとなくなってしまうような、寂しい人間になってしまうから

反省は大切ということを肝に銘じて生きていかなければいけないなと思います。

結局自分のためにもなるんですよね。
むしろ嘘でも謝罪する方が自分の身を守ることに繋がるのでは?とすら最近思う。

てか、どんなに嫌いでも関わらなきゃいけないなら、

嘘でもいいから、演技でもいいから謝ればいいのにwと思います。 むしろ株が上がるのでは?とすら。

謝られた私は
それが嘘か本当かなんて一々考えたりしないのにねぇw  

そんなに私が嫌いなら…ね。笑  
集まるとき以外関わらなければいい話だもん。




補足として
今回のブログ普通にたどり着いた人からすれば何言ってるかほとんど分からないと思います。

支離滅裂っぽいよね。

それもそのはず、数年前私にある酷いことをした親戚の"ある人"に向けて、
9割型読む可能性はないかもしれない
その方にしか分からないような書き方をしているかもしれないからです。

祖父母のことで大変なことがあり、
とりあえず大丈夫だったんだけど

形だけでも会うことがこれから出てくるかもしれないよ?と考えるきっかけがたまたまあり、
そんなとき彼女はどうするつもりなのかな?と思ったまでです。

…とにかく一旦集まることもあるかもしれないよ?

嫌い合っていても、私たちは関わり合いたくなくても、
私たちにはお互い大切な共通の祖父母がいるということに変わりがないから、私たちが顔を合わせることがないわけはないよね?と。

私は次からは気を使いません。あなたが祖父母に会いに行っていても、私も顔を合わせると思って下さい。
だって私は正直悪くないし、私だって会えるときにしっかり会う権利があるのだから。