<4月3日追記>
数日前 明らかになった
インタビューでのコメントによると
この記事での「達観」の内容は
少し違うのかもしれないなぁ と今は思っています
下記の
「『評価してもらえないなら しょうがない』という言葉の真意は
ISUのジャッジの評価は 最早 自分は重要視しない
という宣言だったのだと思えて来ました
「評価してもらえないのを諦めた」というより
彼が理想とする演技を評価出来ないジャッジを
【見限った】という方がより正しいような」
これは 少し見当外れなのでしょうか
『評価されないのであれば
それは 自分の演技が至らないから‥』
というようなコメントがありました
それが彼の本心なのでしょうか
連盟やシステムに対して 批判めいたことは
よしとしない
という信条なのでしょうか
わかりません
ただ「達観」という印象は変わりませんが‥‥
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2月の記事で
「『評価してもらえないなら しょうがないです(諦めるしかない?)』
この言葉を口に出せるまで
ものすごい葛藤があったのだろうと胸が締め付けられるようです」
と書いてしまいましたが
ずっと なんか違うなぁ
「諦める」なんて言葉 全然 彼に似合わないし‥
と感じていました
そして昨日 CBCのインタビューを
訳してくださっているのを見てて
あ、そうか とやっと解った気がしました
インタビューアーからの
『貴方は 史上最高の選手』との言葉を受け
悠然とただ一言 『ありがとうございます』
照れるでもなく 社交辞令の形だけの謙遜でもなく
泰然自若といった風情で
それほど誇り高い彼なのだから
『評価してもらえないなら しょうがない』という言葉の真意は
ISUのジャッジの評価は 最早 自分は重要視しない
という宣言だったのだと思えて来ました
「評価してもらえないのを諦めた」というより
彼が理想とする演技を評価出来ないジャッジを
【見限った】という方がより正しいような
『はっきり言って点数とかどうでもいいなって思ってて』
羽生選手は
【諦観】なんてする訳ないですね
【達観】 しちゃったんですよね!
そんなこと 最初から分かってるって?
そうですよね
今頃になって気づく
ホント 鈍い人です💦