21日に亡くなった同級生の告別式に参列してきた。小さなホールに、収まりきらないほどのたくさんの人が集まっていた。同級生や先生方だけでなく地元の青年団に消防団まで、彼の人脈の広さを実感した。こんなところで実感したくはなかったが。

ブログにも書いた通り、彼は典型的なムードメーカーだった。一学年に1人はいなきゃいけないタイプの明るい性格で、生徒会長も応援団長もやっていた。身長は低かったが、大縄跳びでは縄を回すプロだった。

そんな彼と私は幼稚園の年中から高校卒業までの14年間を同じクラスで過ごした。

クラス替えのなかった小学校・高校はともかく中学校の3年間でもずっと一緒だった。これは本当にすごいことだと思うし、そういう奴がいるというのは私のひとつの自慢でもあった。

幼稚園の頃はよく彼のお家に遊びに行って、バカ殿とか西遊記のドラマとかのビデオを見せてもらった。

小学校からは家に遊びに行くことはなかったが、学業の面で競い合える関係になった。彼の朝青龍や千と千尋の青蛙のモノマネにはたくさん笑わせてもらった。

中学時代、席替えの際の班長会で他人の恋バナをした。彼は誰が誰を好きとかそういう情報も網羅していた。

高1の頃はクラス20人のうち男子が2人しか居なかったため、クラスマッチではずっとバドミントンか卓球のダブルスで出場していた。

高2の時に文化祭で作った映画で脚本を書いてほしいと依頼してくれたのも彼だった。皆で集まって内容を話し合うのはとても楽しかった。もちろんそこには彼もいた。

私が不登校になった時も気遣ってくれたし、教室に残って受験勉強に勤しむ皆にお菓子を配って回っていた。本当に気配りの上手い奴だった。

そして今年の1月、成人式の代替イベントの後に小学校に集まってタイムカプセルを掘り出そうと提案したのも彼だ。あのタイミングで彼が呼びかけなければ、タイムカプセルは小学校に永遠に埋められたままだっただろう。

みんなでワイワイしながら掘り返したあと、彼と私は別の同級生の車で送ってもらった。私は2人に大学をやめたことを打ち明けたが、2人は茶化すことなく聞いてくれた。

別れ際、私は彼が昔から「俺早生まれやから成人式で酒飲めん」と言っていたことを思い出し、「次集まった時はみんなで飲もう」と言った。彼は「コロナ明けとったらええな!」と応えた。呼んでくれてありがとうと言って別れた。

それが彼との最後の会話だった。

間もなく病気が発覚し、7ヶ月に及ぶ闘病の末彼は旅立ってしまった。

こんなことになるならもっと喋りたかった。お礼をたくさん言いたかった。まだ修学旅行の時に分けてもらった飴ちゃんのお返しもできてないのに。悔しくて悔しくて仕方ない。

9ヶ月ぶりに見た彼は、ふくよかな頬がすっかり痩せていたが綺麗な顔をしていた。

ご遺体は頭に青年団の鉢巻が巻かれていて、太鼓襦袢も着ていた。ついこの間3年ぶりに開催された太鼓祭りが脳裏を過った。お祭り大好きな病床の彼はきっと太鼓を担ぎたくてたまらなかっただろう。

彼は間違いなく、私たちの世代の中心人物だった。今後も私たちの学年を、地域を、引っ張っていく存在だった。誰もがそう信じていた。なのにどうして、こんなにも早く彼を連れて行ってしまうのか。私たちはこれからどうすればいいのか。途方に暮れてしまうほどに彼の存在は大きかったのだ。

いつまで泣いていても彼に「いつまで泣っきょんな」とドヤされそうなのでいい加減泣き止みたいが、今日1日くらいはおんおん泣かせてほしい。

14年間、近くにいてくれて本当にありがとう。あんたといた時間はいつも楽しかったです。年末にみんなで集まるから、その時は帰ってきて一緒に乾杯しような。


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以上、私のTwitterよりそのまま転載しました。


一昨日と昨日で5年分くらい泣いて、涙はもう枯れ果てました。大好きな作品ですが千と千尋はしばらく見られません。


もし本当に死神がいたら1発ぶん殴った後に足の甲を思いっきり踏んづけてもう1発顔面殴ってやりたいです。

どうしてこんなに早く連れてっちゃったんだよ。

ふざけやがって……。


悔しいけど、もしいつか向こうで会えたらその時こそ、あいつも含めてみんなで乾杯したいですね。グラスもジョッキも缶も全部ぶつけて。