過去に戻れるのなら、今につながる直接の何かを探して過去に手を加え、「自分だけにとっての」現在の幸せを作り出そうと妄想していた。それ以外なんて考えたこともなかった。
自分勝手で独りよがりだったんだな、今までは。
これを見てしまったら、それは目的ではなくなってしまったようだ。
当たり前の日常に対して『ありがとうと言って回りたい』ことが目的になってしまった。
それは良かった出来事も悪かった出来事もすべて。
この手の物語では、改変した過去は、それに対しての現在を自由に描くことができる。
それは無限の妄想を掻き立て、誰でも今とは違う世界を夢見ることができる。
だから無条件、また無責任に楽しい。
でもそれは物語でも、また現実世界であっても描かれるのは『現在』であって、責任ある現実世界に置き換えればその先はまだ誰も知らない。
タイムマシンがあったとして、過去に行けるとしたら…は現実世界の現在に他ならない。
結局は同じことなのだ。
話を元に戻そう。
出来るわけないけど、過去に戻れるのなら、たとえ現在の境遇に満足していなかったとしても、あらゆる日常に『ありがとう』と言って回りたい。まずは感謝の気持ちを伝えたい。
もちろん現在につながる効果とは微塵も思っていないさ。
過去を変えることは出来ないが、しかし未来なら違う。
過去のありがとうを心に刻んで、現在のありがとうに結びつける。
自分の行動原理を今さら変えることは出来ないけど、再認識した感謝の気持ちからなら今の自分を少しでも変えることができる。変化のない今のままなら、変化のない上記のような未来を辿るのだろう。
『未来』に対しての『過去』…つまり『現在』は無限に広がる『未来』の可能性を自分次第で切り拓くことができるのだ。悩みどころは、それでも未来は誰にも知ることができないということ。結果を比べることはできないからね。
そうなると、「頑張っても頑張らなくても誰にもわからない未来なんだし、それこそあまり変わらないんじゃないか?」という意見もあるでしょう。でも目的・目標が、自分の意思のあった結果と、そうでなかった結果ではどっちが納得できる?言い方を変えれば、欲しいと思ったクルマ、頑張って稼いで貯めたお金で買ったクルマと、親に買い与えて貰ったクルマ、どっちを大切にする?
人生は一度きりしかない。
未来は誰にもわからない。
現在とは未来に対しての過去である。
可能性を広げるのも、その中からチャンスを掴み取るのも自分の意思だ。
今の自分に納得していないのなら、自分自身から変えよう。
キーワードは「感謝の気持ち」。
そしてエッセンスとして、今まで以上に笑顔を心がけよう。
自分も歳をとったな…
time waits for no one
