皆様、『トイ・ストーリー』という映画をご存知でしょうか。

ディズニー、ピクサー共に代表する
動く玩具達が主役のアニメーション映画です。




子どもであるアンディが大事にしているカウボーイの玩具ウッディを主役に、

登場したては自身が玩具であることを知らなかった宇宙ヒーローバズ・ライトイヤーや、

女の子に捨てられ心の傷を負った明るく強いカウガールの玩具ジェシーなど、


他にも優しすぎる恐竜の玩具やウッディの1番の理解者であるバネ玩具など。




このように個性豊かで可愛い玩具達が、
人間に動いてるところを見られてはいけないという『おもちゃのルール』の元に繰り広げられる笑って泣けるコメディ映画です。






この『トイ・ストーリー』

映画は全部で4作品作られています。
私もすべて拝見させていただきました。

どれも名作。
だからこそ4シリーズも作られたと思うのですが、
その4作品目である『トイ・ストーリー4』








なんかめちゃくちゃ評価悪いんですよ。






ここからはその理由と、
私個人はこの映画もいいんだぞって言いたいぞってことをグダグダとお話ししようと思います。











まず『トイ・ストーリー4』の説明をする前に、

前作『トイ・ストーリー3』がどういう作品だったか、
そしてめちゃくちゃ評価が高い作品であることを話す必要があります。






この『トイ・ストーリー』シリーズ。

主役は玩具達なので、当然玩具の持ち主である子どもが登場します。
それがアンディという少年。初登場時は7歳。


このアンディ、
玩具的にはほんと理想の遊び方、扱い方をする少年でして。
まぁ初登場の『トイ・ストーリー』では、
新しい玩具に夢中になってウッディを放ったらかしにするなど子どもらしい一面もありましたが、


どの玩具も大切に扱い、そして玩具達もアンディを心から愛していました。




『トイ・ストーリー3』では、

このアンディが17歳になって登場します。



そう、『トイ・ストーリー3』は
玩具で夢中に遊んでいた子ども達が大人になると、玩具達はどうなってしまうのかという、

極めて現実的な問題を扱っているのです。





玩具達が徐々に"自分たちはもう遊んでもらえない"と理解していく姿は本当に苦しく、

敵玩具に焼却炉に落とされてしまった時、
逃げようとする玩具達が自分達の運命(捨てられる未来)を受け入れ手を繋いで燃やされようとする姿は辛すぎて涙が止まりませんでした。
(色々あって助かった)


そしてこの作品が評価されている理由が、



遊ばなくなった玩具はどうするべきか。

この問題に完璧といっていいほどの答えを出しているからです。


その答えとは。







また次の世代に託すこと。




アンディは玩具達を捨てるでもなく、
また屋根裏に置いておくでもなく、

親戚である4歳の少女ボニーに玩具達を託します。


アンディが唯一私物として置いておこうとしたウッディをボニーが触ろうとした瞬間、
触らせまいと反射的に拒否した姿は今思い出しても目頭が熱くなります。




子どもが大きくなって遊ばなくなっても、
次の世代に託せば玩具は生き続ける。



アンディを通して描いた玩具の生涯は、
あまりにも完璧だったのです。











だからこそ。









『トイ・ストーリー4』の話は
批判が多かったのでしょう。



何故批判が多かったのか。








この『トイ・ストーリー4』

玩具達を引き継いだボニーが、
ウッディ以外の玩具で遊ぶ姿から始まります。




そう、ウッディ以外。




まさかの主人公、
子どもに飽きられる。






あんなにアンディに大事にされたウッディが、
アンディに大切にしてほしいと託されたウッディが、棚の中から羨ましそうに遊ばれている玩具達を眺めているのです。



前作で子どもが大きくなったとき玩具はどうなるのかを完璧に描いたディズニーが、
今回は玩具が飽きられた時はどうなるのかを描いているのです。




ディズニー、あまりに現実に突き落としすぎ問題であります。
ヤメタゲテヨォ!!



こんなんプリンセス映画でいったら、
自分を助けてくれた王子と結婚したらまさかのモラハラDV男だったみたいな裏切り方です。



そりゃ批判も殺到しますよね。

だってウッディのあんな姿見たくなかったもの。
ボニーにとやかく言いたくなる気持ちもわかります。





でもこの冒頭、

私たち大人全員が体験してきたであろう、
子どもの本来の姿なんですよ…。



確かに女の子ってカウボーイ人形で遊びませんよね。
カウガールの人形では遊んでいたので、
これはボニーの性格とかじゃなくほんとに好みの問題です。







そして私たちが見たくはなかった、
子どもに飽きられたウッディの姿。

なんとも切なくて、惨めで、辛くて。


ウッディ自身はボニーに飽きられたこと、
もう遊んでもらえないことをしっかり理解しているのがまた悲しいです。

ですが飽きられたからこそできる自身の役目を見出します。
まぁそれが原因でトラブルになるんですけど。






まぁでも、そこはやはりディズニー。
ウッディは希望を、自身の役目を、そして仲間達を諦めないのです。




愛していたアンディと別れても、
自身がもう遊ばれない玩具だとわかっていても、

ウッディはずっと変わらず仲間思いでいつもかっこいいリーダーなのです。









だから、なんというか。



『トイ・ストーリー4』のウッディも、
かっこいいんだぜ…。








って言いたい…。












それとね。
私思うんです。








この『トイ・ストーリー』シリーズって、
あくまで主人公はウッディなんですよ。










この映画もう1つの批判ポイントとなってしまった結末。(いやまぁ他にもあるやろけど)

それは、
ウッディがずっと一緒だった仲間達と別れて、
離れ離れになっていた恋人の玩具ボーと共に外の世界で生きることを選択したことです。







改めて考えてみると、
ちょっと残酷な言い方になりますが、
玩具達は生きる上で選択肢なるものがほとんどありません。


そりゃそうよね、玩具を生かすのは造り手、そして持ち主である子ども達です。


だからこそ選択肢なんてない、
なんならそんなこと考えたこともなかったであろう玩具のウッディが、

人生で初めて、

仲間と共にいるか
恋人と共にいるか 

選択肢を得ることが出来たのです。



そして彼は、
子どもに遊ばれる玩具という役割から卒業して、
心から一緒にいたいと願う恋人と共にいることを選択出来たのです。





(ここでウッディがリーダーの証であるピンバッジを相棒であるバズ・ライトイヤーじゃなくて妹分であるジェシーに渡すのめっちゃエモくないですか)





もし『トイ・ストーリー』シリーズが、
ウッディの人生を描いてるのだとしたら、




この『トイ・ストーリー4』は、
今までの『トイ・ストーリー』シリーズを裏切った物語ではなく、

子どもというしがらみから解き放たれた、
ウッディが第2の人生への選択を描いた物語。



人間臭く言えば、
子どもが完全に巣立った後の親の心境とか。



そんな映画だといえるのではないでしょうか。





だからこそ、

私は『トイ・ストーリー4』を、
ウッディの選択を、

否定したくはないんです。





愛する恋人と共に外の世界で自由に過ごすウッディは、きっとこれまでと変わらずカッコよくて良い奴のまんまだと思うのです。


そして多分、


これからどうなったとしても、
ウッディはあの時の選択を後悔はしないのだろうと思うのです。


















いやウッディへのクソデカ感情えぐ。





おしまい。