ICUのにいたのは それから1週間でした。

ICUの一番奥の 本来なら 重篤患者が入るような個室に 翌日から

かえって 周りの騒がしいのを見るよりも と 移されてました


本人 背骨の骨折のほうが痛いらしく そのせいで ベッド上でした

ですが 痙攣止めのお薬はしっかり効いていて 様子はおだやかでした


「はやく 固定でも コルセットでもして 帰してくれないかなー」とばかり

言ってました


一般病棟に移ってからは MRI2回 脊髄から血液抜かれるなど 盛りだくさん

面会も 親友 私の親友 先輩 boo実家から父親と弟と 盛りだくさんで

暇な時間はない程でした


そんな中 本人に言われました

「おれ そんな 悪いのか」

って


気づかれた と 思いました

でも チャンスか と 動物的反応で 私 言いました

「頭ねー なんだか 悪いもの あるみたいよー」って


「そうかー」

しばらく 沈黙でした


そりゃー気づくよね 普通の大人なら

そして その会話だけで 意思の疎通できる お互いのこと 思いやれる 気持ちが頭に浮かんだからこその

沈黙だったと 思います


そうなったら、私 動かなきゃ! わたししか出来ないんだから!と 行動に移す 舵 切りました


私も イライラしていたんです

いっぱい検査するのに いっこうに 手術の話が出ないことを

主治医捕まえて 勇ましく 聞きました


「なぜ 手術の日が決まらないのですか!」って

そうしたら、主治医

「...   ...   ウチは そのー 脳梗塞とか 脳出血とかは 専門なんですけどねー...」

と、煮えきらない言葉 が返ってきたきおくがあります

「取らなきゃならないものですよね! どうしてですか!」

とでも 言ったと思います


そうすると これだけは しっかり覚えてます

「奥さん それだけご主人の手術は 難しいんです

 ウチでは 出来ないんです 難しいんです.....」 と


!わかった!

「そうですか ということは 適した医者を探せということですね」

これも しっかり 言いました。


「そういうことです...」

なんだか 弱々しい返答でしたが 主治医に なにか 肩の荷が下りたような

安堵の表情をみたように 思いました


わかったわよー! 

事故の翌日から 神経膠腫という字を見せてもらった日から

毎夜 毎夜 ググってましたから

わたし やります!探しますよ

ググってググって ただ事でない 腫瘍であること

生存率低いこと 再発したら 再起はないこと 泣きながら ググってましたから


また 有名な医者も調べてました

それなので まずダメ元で ゴットハンドのF医師に 窓口みたいなところから メールしました

でも やはり 返事はありませんでした。

それでも ウチは東京なので F医師監修の病院が 東京の東にあるのを見つけました

そこにセカンドオピニオンで、持ち込めないかと考えていたところ、

その話を 前回のbooの親友に話したら、

「あれ? おれの主治医 そこの先生知っているはずだよ ちょっと聞いてみる」と

言ったら スルスルと F医師ではありませんでいたが そこの院長のH医師に、紹介状まで書いてくれて

初診に事故から10日後には出来たのです!


booは 守られている と思いました。


そして、H医師との初診

「うん 奥さん 僕 切れるよ

 そして 早く やったほうがいいね

 ちょっと待って 今 入ってもらいたい系列病院と その任せたい医者に電話するから

 待ってってくれる」と

診察室の中で 電話してくれて 

「奥さん この後 そっち行ける? 行けるね じゃあ、行って手続き進めて」

まあこっちの病院は テキパキしまくっていた!


そのあと

・摘出後 主人は仕事に復帰できるのか? 

 「できるよ ご主人の仕事 自転車こげるのが 身体に着いたら 二度と忘れないような 仕事だから 大丈夫」とか

・保険降りるのか

・私の仕事は続けたほうがいいのか

とか 細かい 質問して 終わりました


そして すぐ タクシーでワンメーターほどのところにある、M病院へ

すぐに 先程 電話してくれた 主治医になる先生と話せて これまた

「いつ来れる 明日にでも 来れる?」と まあ、こっちは 急ぐ急ぐ

びっくりしながらも 今の救急病院に連絡し 転院先決まったのでと話すと

明日でもいいですよ という


ならば お風呂入れてなかったし 一度家に帰りたいだろうし 今日は金曜日だし

と、一度家に帰してあげたいので 週明けの月曜日にと 新しい主治医に伝え

「そうだね それも いいね じゃあ 事務に寄って 書類もらって帰ってね

 週明け 月曜日 10時に待ってるよ」と笑顔で言われ 別れました


翌 土曜日にもかかわらず 

「適した病院見つけましたね」と言われ、

転院先に出す 主人のカルテは出来上がってました

そそくさと支度し がんばってね booさん と 見送られ 救急病院は2週間ほどで退院しました。