2017/10/20

主人が入院して翌日

ICUの面会は 時間帯が決められている

それなので一番最後の17時からの時間で行った

会社に休みをもらう 主人の郷里に連絡する 主人の友人に連絡する 各保険会社へ連絡する

諸々 しなくてはならなかったから その時間になってしまった


何事もなく するすると入れ 主人のそばに行くと

意外にも ただフツーに 寝ている 主人がいた

顔つきもフツー ホッとした

声かけて 昨日のことを 聞いてみると


「俺 なんにも 覚えていないんだ」

という

「え? 長男と買い物行った事も 事故った事も 覚えてないの?」

と 聞くと

「覚えてない」

という

「まじー よく長男を 車から降ろしたねー 買い物も覚えてないの?」

と 私も 長男も車に乗っていたらと 想像すると ぞっとしながら聞くと

「覚えてない」と言う


「今痛いことあるの?」

「無い」

そんな話をしていたら 主人の親友二人が来た


私が「昨夜の医者からの話だと 背骨の骨折と 脳挫傷だって だから治ったら退院出来るんじゃない」と

伝えると 親友はよかった じゃあ1週間ぐらいで退院出来か と言い 本人も そうなのか という感じ

私も そう思っていて

ただ 本人 本当に 何も覚えてないらしく 不納得の様子


そんな会話をしていたら 看護師がきて

「奥さん 医師からの説明がありますから 奥さんは この後 残っていてください」

と言われる 承知し ICUの面会時間は1時間だけなので あっという間に 時間は経ち


「boo〜 じゃーなー 大事にしろよー」と言って 二人をICUの出入り口まで送った


送ったその場から 看護師が 「では 医者を呼びますね」と声をかけられた


「このあと お医者の説明が あるんだって」と主人に伝え 十数分後 お声がかかった



先ずは 椅子に座り 脳外科の医師ですと自己紹介され 搬送されて来てからの状態の説明

痙攣止めと痛み止めの薬を使用 背骨については 手術は必要無いけど 固定が必要

整形外科と連携して 処置を続けると

ふむふむ と 淡々と 聞いていた

そして医師はこう始めた


「で 次は 脳の損傷なのですが


脳挫傷ではありません  (なにやら 小さい白い紙に 言葉を書き始めて)


脳腫瘍です (上のメモを そっと見せながら)神経膠腫 という脳腫瘍だと思います(メモには神経膠腫という 見たこともない 漢字が4文字書かれていた)」

と言いながら 画像を見せた

「この白いまるで囲まれた部分が 腫瘍の部分です。神経膠腫の特徴的なものです。右の眼の上の前頭葉に出来ています 大きさは直径3センチぐらいの球体のようなもの ただ この腫瘍は 脳に 染み込んでいくようなガンなので形は いびつですから どこまで浸透しているかは 開かないとわかりません

これが原因で 痙攣発作を起こしていると思いますので 発作を止める薬も使用しています」




絶句 だった 

え?........ 先生今 脳腫瘍って言った? 腫瘍って ガンだよね? それってなに? 開かないとって なに? と言葉は出ずだが

頭の中は 言葉だらけだった


医師が続ける

「おそらくあまりいいものでは無いでしょう グレードは4段階あるうちの 3か4

 4であることを望まないのですが これから もっと詳しく調べて行きますので

 1週間やそこらで 退院出来るとは 思わないでください

 また いつなにが起こってもと 今は思ってください」


昨夜の事故から1時間程前の 思っていたことは 完全に覆された


私が やっと 口に出せた言葉は

「それって もう 悪性って ことですか?」

「そうです」

の答え


落ち着け 落ち着け 30年前の経験で 落ち着け 

出た言葉は ちんぷんかんぷん 「わかります」て なに言ってんだ! booko!

涙だけが ダアー っと 滝のように出て もう 胸が苦しい

胸が苦しくなるほどの 泣きをしてしまった


無音の 説明室

「御本人には まだ 伝え無いほうが よいかと思います

 どうされますか?」

と医師

「今は まだ...」としか 言えなかった


この赤い顔では 主人に会えない とばかり 「わかりました よろしくお願いします」と

一度は出て 看護師に伝え ICUも出て 眼の赤みを取らねば 鼻の赤みを取らればと 女子トイレに駆け込んだ


もう嗚咽も出すような 泣きをしてしまった

頭の中は なぜ! なぜ! なぜ! また! 私に! また?! また?!!!」

この悲しみだけが 頭の中 繰り返していた


まず この顔 どうにか治めて 主人のところに 戻らなくちゃ と落ち着け 落ち着け だった

と同時に さっき来ていた親友に 前言撤回しなきゃ と1階まで降り 電話をした

ひとりは「まじか! booそんななのか! まいったな!」

ひとりは「もう 他に言っちゃったよー まじか!困ったな」と


そんなことをして 主人のところに戻り 

「なんだか いろいろ調べたほうが 良いらしく 1週間やそこらで 退院は出来ないらしいよ」

と伝えると

「マジか~ 嫌だなー 困ったなー」と言う


ごめん 今 私 本当のこと 言えない ゆるせ と 

心の中で言って

これ以上 この場にいたら 顔に出てしまう と思い 早々に また明日ね と伝え ICUを出た


それから 主人の郷里 自分の母 に連絡し なぜ?なぜ?ばかり思いながら 家路についたと思う


子どもには 何も 言えなかった

ただ 医師の いつなにが起こっても の言葉から

長男に 同じ言葉だけ言って 合宿を 行かないよう お願いした

今になっては 行かせてあげればよかった と後悔のひとつとなってます。


後になって わかったことですが

・なにしろ 長男ひとり 車から降ろしたこと

・3階に住んでいた母の話

 その日 大雨の中 ウチの前に その同時刻に ガレージの前に ウチの車が 後ろのスライドドアを開けっ放しで 停まっていたそうです

 でも大雨で 母は早く エントランスの屋根があるところに行きたかったようで

 なんでだろう と 思いながらも 気にもせず 部屋に上がってしまったようです

・私が交差点で聞いたクラクションの音


不思議なことは 良い方向のものも 悪い方向のものを あり

・長男を降ろしたことは幸いなこと

・母が声をかけていれば 病気は防げなかったにせよ 事故と骨折は防げたかもしれないこと 不幸なこと

・あのクラクションに反応し フードをおろし 左を向いていたら ウチの車が見えていたかもしれない

 あのクラクションの音は主人がハンドルに突っ込んでの衝撃で 鳴り続けていたかもしれないこと

 そして事故の直後に 主人のそばに すぐに行けていたかもしれない 不幸なこと


世の中 不思議な偶然は あるものです

そして、昨日の自分の行動を、後悔するばかりでした。


この日から booと私たちの闘病生活が 始まりました


(その日の画像はありません もうそんなことに気が回りませんでした

ですのでグーグル先生で 同じような画像を 拝領させていただきました

主人の腫瘍の位置は もっと眼に近いところにありました )