お泊り2泊明けての朝です。

朝、6時の、検温、その後処置、チューブからのお薬が入り、ちょっと、直接、胃に入るせいか、ゲップが出るような、昨日の朝と同じような、事が起こった後は、お腹に薬でも、物が入ったからか、ぐっすりと寝てます。

この施設は、まだ開設から1,2年しか経っておらず、とてもきれいです。

主人はその点、今までの入院生活の中で、恵まれてました。

事故を起こした後、搬送された病院も、その後、摘出手術受けた病院も、有名病院も、その他、小さな、胆嚢取ったりした病院も、全てキレイなところばかり。

ここの施設も、ほぼ全室個室。だから、お泊りできるのですね。(写真下記添付)









さて、その後 です。

入院中は 言葉出なかった

誰とも話さなくていいから 当たり前だけど


会社にも 息子に 連絡してもらい どれだけ 事情が話せたかは 定かではないが 休みはもらえた


その入院中には 息子たちの 主人との面会は 進まなかった


やっと決まったのは、月が変わる頃


決まったから 会えなくとも ついて行かなきゃと 退院を決めた


何度、交渉しても、願い叶わず、11/29、息子たちに、ボイレコ潜ませ、MRI画像や、色々、画像を取って来るように、お願いし、行かせました。


終わって、聞いた話は、


自立支援の施設から、救急搬送された病院で、脳腫瘍再発発覚。

私が持たせていた、ヘルプカードのメモ書き見た医者が、有名病院にコンタクト取ってきたと。

それで、受け入れ、検査し、再発確認。

取り出さないより、摘出したほうが、本人に楽だろうと判断。義父に許可を取り


10/31 摘出手術を したという。

合格発表の前日。

こんな偶然って あるのかしら ね。


その後 放射線治療を1週間し、抗がん剤治療に移りたいが、股関節に炎症があって、今は熱があり、行えずにいるという。


そして 私が 倒れた原因の 私に会いたくない の話は。


「もう既にここに運ばれてきた時には、意思の疎通が難しく、歩けないし、言葉も出ないし、介助を必要とする状態だった。

 その中でも、奥さんに会いたいか、と聞くと、かろうじての行動なのだが、首を横に振る。

 息子さんに会いたいか、には、首を縦に降った、ので、今になります。

 本人がそう言う限り、こちらとしては、奥さんに、来てもらえないので、あなたたちに、説明となった」とのことだったと


いやいやー....、ちがうだろうー......。

だったら、ものごと、まともに、判断出来ていない、出来ない人になっているんだから、そこは判断違うでしょ

あなた達、グリオーマのプロで、高次脳機能障害のプロなんだから.....

と、とても、憤りを感じた。


そして、次男から

「かあさん、とうさんは、もう、ダメだよ

 びっくり、しないでね。

 ショックな写真だけど 見る?」と


見る と 見せてもらうと


どう考えても あの人とは思えない また想像もつかない 姿になってました。

グリオーマになっっても、数年間は筋肉隆々の体型で それから徐々に痩せはしたものの 最後に会ったときにも まだ 全然大きい人だった


病気って なんて おそろしい..... と思った


そして次男が 「始め、車椅子で 連れてこられたとき とうさん? これ? とうさん? って思うほど 目を疑ったよ」と言って

長男が「うん」とぐったり疲れた顔で、言った


ああー こんなところでも また まだまだ 青年の二人に 周りとはちがう体験を 悪い意味で 特殊な体験を させてしまったと後悔した。

離婚って ただ 別れて住むようになるだけじゃなくって いっぱい いっぱい 弊害がでるんだって

申し訳なくって 涙が 出た。


そんな話ししてたら 声を架けてくる 女性がいた

ソーシャルさんだった

「顔を見れて良かったです 素敵な息子さんですね

 今回は 申し訳なかったけど 息子さんから聞いてくださいね」と 笑顔で言う


腹立しいかった あんたねー!って 恫喝してやりたくなった わたしには 笑顔はなかった 「はい」とうなずくしかなかった。




その後も 私は懲りずに なんとか面会できないかと

突然 訪ねたり 主治医に話を聞けないかとオファーしてみたり 物を届けたりと 頑張ったが

有名病院は 頑として 対応はしてくれなかった



そして突然 年が明けて1月に入ったら 来週転院する と次男に連絡が来た

その転院手続きも なにもかも また 私は入るすきも与えてもらえず 長男と次男で来い で、転院先まで付き添えという


もう ここまでくると、 有名病院の対応に 親身さも感じず 信用も一切なかった。とても不誠実に 不誠実に思えて なんなんだろう この病院、としか思えなかった。


1/20

そしてこの施設にきました。

ここの院長先生は、ここは、誰が来てもいいし、24時間面会してもいいし、キーパーソンを誰にしてもいいと言ったと次男が言う。

それを聞いて、ふたりとも、どんだけホッとしたことだろう。すぐさま、翌日には会えて、これからの連絡はすべて私が1番でと、快諾してもらえた。

ここまでの経緯があったから、神☆!と思った。


そして、今日になります。

10月から いろいろあって は 以上です。


最後に、今日は写真もアップします。

ちょっと、見るとショックですよ。何行か前にも、同じ字書きましたけど

記録ですから

これを見ている方の大体は 脳の病気の家族の方だと思うので 見てもらったら ああ〜 なるほど〜 と わかってもらえると思うので 

でも、皆様にご容赦をm(_ _)m


さあ 帰りましょう

また、明日から、戦争だ(仕事ね)

用事済ませて

家に戻って 



(MRI画像の右前頭葉の黒い部分は最初に摘出したところ その下が再発部)