次男の大学の合格発表が来月にはわかる、と書いた2023/10/26の頃。

ポツポツと心境を書いていましたが、合格が取れたら、次は主人のことを解決せねばと、策を練ってました。

でも、すぐ合格取れるとは限らなし、受験シーズンの最後までかかるかもしれないし、でもなにしろ、次男の合格取れるが、今は一番大事!と、家族で頑張ってました。

家が競売にかかって、大変な状態になってたことも、長男と、次男には、合格が取れるまでは、聞かせるのをやめようねと、隠し、何しろ、次男には万全な受験体制で挑めるよう、励んでもらえるようにしてました。

そんなでか、AO入試で受けた、第1回目の第一希望の大学に、11/1、1発!合格!ラブ なんと本当に、素晴らしい子でしょう。私の子ではないみたいですね(笑)勝ち取りました。


そうなったら、次は、主人!

速攻、居た施設に電話しました。


入所していた自立支援の施設とは、家の競売のことで、弁護士先生が、やり取りの中で、連絡を取り合うようになってました。

なぜなら、借金まみれ...、病人...、どうであれ、主人名義の家なので、色々な競売取り下げ等の手続きに、先生が、本人と連絡取り合う必要があったので、繋がってもらってました。


先に競売の話もしておきます。競売の連絡が、裁判所から来たのは、8月の頭頃でした。

寝耳に水、でしたが、いつかこんなことも来るだろうとは、ずっと思って来ましたから、受けるしかないと思いました。

先ずはこんな物が来たが、本人は病人、離婚もし、の状態で、回避出来る策は無いものかと、区の無料弁護士相談に駆け込み、弁護士先生と出会いました。

そして、弁護士先生の調べで、結局、競売を仕掛けてきた会社は、消費者ローンの会社でした。たったと言ってはなんですが、58万円の回収のために、○千万の家の競売を申請してきました。

ですが、その会社が上げた途端、国の競売の仕組みも、へーっと、勉強させていただきましたが、団信の3大疾病つけてなかったがために、まだローンを払い続けている、家のローンの銀行、国の固定資産税、年金、クレカの会社、他消費者金融、とごぞって申請してきました。

ですが、またこれが、そうなんだー、と勉強しましたが、債務額が多いところから、取り分の順位がつくそうで、当然、家のローンの銀行が第1位、次に国、となると、競売で売られた今の家の価値からの取り分で、銀行に支払ったら、残りはわずかになるのだそうです。

それがわかったら、ごぞって、皆さん、取り下げていきました。なぜ、取り下げるの?、これもまた、はて?、なのですが、先生曰く、取り分より、競売申請する、その後の進捗時にの費用が多くかかるから、しても無駄、が、理由だそうです。なるほど、ですねー。そうなり、我が家の競売問題は、解決しました。(これが、ローンがなくなったら、また、仕掛けて来るかも、だそうです。おそろしー)


そんなやり取りの中で、弁護士先生が、たった2回目の施設への連絡の時に、主人が入院したと、聞いたと連絡が来ました。

え!?それは、なにで?どんな症状で、と聞くと、「食事を取らなくなったので、救急車を呼んで、入院となった」と施設の方が言っていた、命にかかわるわけではないと。

命にかかわるわけではないと言われても、気になりますよね。自分で聞きたいし、その病院に行きたいですよね。

それなので、そういうこと聞けないのか、と聞くと、先生にも教えてもらえなかった、と。

では、施設に連絡して良いかと聞くと、施設はHP公開もしているようなところなので、差支えはないかと、と、施設の連絡先と、担当者の方の名前を教えてくれました。


伺った時には、とっても、塩対応だったので、念の為、先生に、施設の方が、病院と連絡取る時に、伝えてもらえるなら、病院の主治医に、何かあったら、私に連絡をくれるように、私に伝えたいことがあったら、連絡くれるように、伝えてほしいと、先生にお願いしておきました。


そして、すぐに、施設に連絡。担当の方と話せ、自分の、病院への意向を伝えると、わかりました、伝えます、との回答でした。

そんなのが、10月の半ば頃、次男が1校目を受験した頃でした。


ですが、待てども、待てども、連絡がなく、2週間を過ぎた、11/1、合格勝ち取り、次は主人!と、施設に速攻連絡すると、施設の方から


「ご主人は、その後病態が悪く、こちらには帰ってこないことになり、もう契約を解除、荷物も病院に送りました」と言う。


はぁ〜????? なにそれー!!! どういうことか、病状は?と、聞くも、


「こちらでも、なにも聞いてません」と。

は?は?は? でたよ、塩対応。なんだか、こことは、相性悪い、と思っていた事、再燃!


病院教えてほしいと聞くと 「教えられません」

私が入院先の医者に伝えてほしいと言ったことは、伝えてもらったか、と聞くと「聞かれなかったので、伝えてません」

激塩対応!炸裂!!!

どうしても教えてほしい!と、泣きながら懇願しても、「個人情報なので伝えられない、本人からの意向がない」と

なにそれ?!、本人が私に伝えるなと言ったのか、と聞くと「そうです」と

(全く、どこまで、変な人になっちゃったのか!?)

もう、これは、この人と話してても、どうにもならないと、次に電話したのが、救急車で運ばれたのなら、その履歴から、教えてもらえないだろうかと、隣の県の消防局、近くの消防署かけるも、わからない、教えられない、の一点張り、埒が明かない。


と、混乱した日が、合格勝ち取った日から、翌Wワーク先の出勤日の11/14火曜日。

私は、どこに連絡しても、離婚してるので他人扱い。これでは、どこにかけても、無理。

弁護士先生に連絡し、泣きながら、事情を話すと、「前に入っていた病院とかも連絡してみたら」という。

そんなー、そこに入っていたら、私に絶対、連絡来るはず!、離婚していたって、あんだけ、ソーシャルワーカーとも、色んな事話して、私のこと、家族のこと、わかってくれてる、先生たちだもん!だからそこはないよー!と、先生に言い、他人がダメなら、息子出すしか無いと、息子二人に、早退までさせて、帰宅させ、事情話し、施設周辺の病院、消防署にかけまくってもらったけど、見つからない。

もう、半泣き。そんな中の病院のひとつから、息子に、事情を聞いて察してくれて、「お母さんが事情で他人扱いになっているなら、お父さんの血縁に連絡が行っている可能性があるよ」と、優しく教えてくれたと、次男がいい、主人の弟に連絡してみようよ、という。


もう、今までで、絶縁状態になっていたので、連絡するのも、死んでも嫌な思いで、渋っていたら、またここは、次男のコミュ力強し君、自分が架けてみるよ!と。

悪いね、と伝えながら、架けてみたら


また、ここが、塩対応、どころか、マウント取ったみたいに、次男に「連絡、来とるよー、で、なに?」と言ったそう....。もう、次男が、顔つきが怒りに変わっている。

「かあちゃん。かあちゃんに変わっていい?」と、かわったら、まあ、よくも、そう、傲慢な態度に、変われるの話しぶり。「連絡せんでええやろーと思ってた」と。


そして、結果として、最後に通っていた主治医病院、話した、18万も未払いにしていた、都内の、有名な観光地、有名なお寺近くの、とても有名な病院に入院していました。

なので、ソッコー電話するも、また、ここでも取り合ってくれない、相談していたソーシャルワーカーに繋がるも、「奥様には話せない」の一点張り。

前の入院していたときの、緊急連絡先が、第一は私、第二は私の母、第三が義弟だったので、奥様は離婚されているとなると、第三の弟様への連絡となったという。

もう、すごく、悲しかった。世の中のいろんな事件で、そういう風潮になってしまった、法律になったということは、よくわかるが、これまで、面頭合わせて、あるときは笑い、あるときは泣きながら、話し合ってきた、奥様の辛い事、高次脳機能障害は大変は大変な事、言っていた人たちからの、この対応。耐えられなかった。

私の、耐えられない訴えに、渋々、親族様のご了承があれば、いるかいないか含めて、話すという。


致し方ないから、その話、義弟に話すと、「親父と話してくれ」という。話すたびに、理解もらえず、協力もらえず、怒鳴られた相手だ。

嫌でも、でも、架けるしかない、お願いするしか無い、と勇気を出し、架けると....

案の定、開口からの怒鳴り。「おまえらが、ほっぽりだしたんじゃろう!もう、お前らの言っていることと、息子の言っていることは、違いすぎるから、おまえらは信用できない!」と怒鳴る。それでも、ここは、なんとしても、協力もらえなければ、面会に行けない、耐えろ私、とばかり、踏ん張った。そして、会話の中で、丁寧に話していくと、話の矛先が変わり始めた。というのも、相手も、こっちの説明と、息子が言っていた話に、食い違うと思うところが、あったようで、会話の中で、具の音も出ない、間があった。

離婚の前のお正月に、そうすることになる事と、今の自分の状態、仕事、借金...、諸々を、自分で、きちんと話に行ってくるように、と、郷里に帰したことがあった。その時も、出したときは善人で、行ってくれることをすんなり受け入れ、家を出た。その時の主人の有様を、数日、目の前で向こうが見たら、おかしい?は、わかるだろうと、思ったから。義父はその時のことを言う。その前に私から聞いていた事と、息子から聞いたことが違った、という。そして、また、金も持たず帰ってきた、だから渡した、と言った。そこが突破口だった。実は、郷里に帰れと、一番説得したのは、長男。長男が、お金も渡して、きちんと話してきてくれ、と願い、主人に行かせたのだ。義父にそれを言うと、言葉が止まった。ついでに、伝えた。そういう嘘を、平気でする人になったのだと、伝えた。なにか、気づいて、くれたのだと思う。趣がかわった。


でもやはり男の人は男の人。バッツの悪さに口調は強いままではあるも「わかった。もう1回信用する。病院には、お前に任すを連絡する。だから、きちんとやれ。だか、もう2度と連絡してくれるな!死んでも連絡してくれるな!」ろ、だとさ。いいんだねー、息子の最期、それでいいんだー。でも、もうこっちもそこまで言い切ったなら、それでよし!きちんとやりますよ。と、もう、連絡はとってません。


でも、悔しくて、悔しくて、これもまた、音信不通になっている、自分の母親に、やってもらいたい!と、人生で、あまり、母に願い事をしなかった、私は、一つ、吠えさせていただきました。

「悔しいから、あなたから電話して、ウチの娘が可哀相、なんでウチの娘が悪いのか!」と言ってくれと。あまり連絡は取ってなかったが、ウチ側では、郷里はあまりにも、無関心すぎ!なぜ?なにもせず?ひどいし責任がないと、話題にはなっていた。なので、主人が倒れ5年、一度も連絡取り合ったことなかったんだから、最後に、私の味方をしてくれてもいいじゃないとお願いしたら、してくれた。

した後、聞いたら、連絡してこないところから、来たものだから、ただ事ではないは、わかった様子で、少しは、わかってくれたと思うよ、との、ことだった。まあ、半分は、どうも母ではなく、妹が話したみたいだったけど。


翌日もWワーク勤務予定だったが、休みをもらい、まだ、許可もらえていない病院でも、行ったら、どうにかなるでしょう!、と思い、息子二人も、休んでもらい、明日、一緒に行ってみようと、着地点におちついた、11/14でした。