父が亡くなったのが10月で、あっという間にお正月になりました。
モラハラ一族のお正月は毎年うちの家でする事になってました。
元旦の早朝から夜遅くまで、モラハラ一族、(かし子ちゃんが結婚してからはかし子ちゃんの旦那まで)うちで大騒ぎしてました
元旦はモラハラ一族が来るので、私は実家には帰れません。
結婚してから元旦に実家に帰った事は1度もありません
毎年元旦から女中の様にこき使われました
マンション買った時、うちの親はお祝いに
「私が旦那から貰う生活費の4倍」
位のお金くれました💰
モラハラジジイは
「一錢もくれません」
でした。
うちの親はお祝いくれたのに、「出入り禁止」なんだから、お祝いもくれなかったジジイからは「入場料」貰いたいくらいでした
父が亡くなった年のお正月も、いつも通りモラハラ一族やってきました。
「明けましておめでとうございます。」
とジジイに挨拶すると
「明けましておめでとうございます」はいけませんなあ
とか言い出し、
「まる子さん、ここに座ってください。」
と言い、私をジジイの前に座らせました。
「お父さんの事は大変でしたな。
私ももう1度会いたかった。もう1度会えなかった事が悔やまれてなりません。」
「病人が病人お見舞いに行けませんからなあ。」
ジジイの家から病院近いし、ジジイもその病院通ってたんだから、いつでもお見舞い行けたやろ
1年入院してたのに、お見舞いは1回来ただけでした。
「病人が病人お見舞い行かれない」
老人は皆、病気持ってるよ!
じゃあ、ジジイも旦那のお見舞い行くなよ
喪中の嫁がいるんやから、今年はお正月辞めるとか、ジジイの家ですれば良かったのに、ジジイの言いなりの「モラハラ伝書鳩夫」は当然の如く、
「モラハラ一族のお正月」
開催したのでした
ここで私のムカつく気持ちにとどめを差したのは
ババアです。
寝転がってゲームをしている次郎の体を撫で回しながら
「おじいちゃん、生きて退院出来て良かったね!」
何回も何回も壊れたレコードみたいに繰り返して言いました
私のお父さんは死にました!死んで退院して悪かったね!
死亡退院しましたよ
(私は心の中で泣きながら叫んでいました。悲しかったです)
こんな事言いますか?
ババアがこんな事言っても誰も注意せず、笑っていました
私の父はお米作っていて、結婚した時からずっとジジイに新米あげていました。
父が亡くなる前に母に
「お米取れたら、まるちゃんとこのお父さん(ジジイ)にもちゃんとあげといてよ」
て言ってくれていました。
父が亡くなった後、旦那に新米渡して持って行かせたけど、お礼もありませんでした
いつもお礼も無いけど、父が最後にくれたお米なんやから、
「お礼くらい言えよ!」
その後、母には
「お礼も言えない人にお米あげなくていいから」
と言いました。
人の気持ちがわからない
モラハラ一族