会館で喪服の着付してもらってる時に携帯がなりました📱
旦那からでした。次郎がテスト終わり次第すぐ会館に向かわないと間に合わないので、学校の駐車場でかし子ちゃんと待機してました。
「次郎、まだ出て来ないけど?」
そんなん知らんわ!
学校に電話しろよ!
ずっと待っとけ!
偉そうに言うくせに、そんな判断も出来ません
父親のお葬式はたくさんの人が来てくれました。泣きながら受付してくれてる人もいました。
76歳で亡くなったのに、定年退職した会社、その会社の従業員の皆さん、取引先だった会社等からたくさんの供花が届いていました
近所に私より少し若くて障がいのある人(みっちゃん)がいて、いつも散歩したりしてたらしいです。
そこのお母さんがその人も連れて来て
「いつも、「みっちゃん、みっちゃん」て言うてくれたから、みっちゃんも連れて来ました」
うちの父親がいつも声かけてたらしいです
お葬式には来れなかったけど、昔一緒に働いてた若い人が、号泣してお通夜に来てくれました
「もう1回会いたかった」
父親は最後2週間位、ICUに入っていました。1年入院してる時もずっと誰かお見舞いに来てくれました
ICUに入ってる時も、お見舞いに来た人が看護師さんに
「会わせてくれ!」
と直談判したらしいです
お元気ですか?
いつもお野菜ありがとう。
おいしいよ。
また遊びに行くから、待っててね。
太郎
太郎が小学3年生の時に、手紙書く授業があり、私の父に書いた手紙です。
私はこの手紙を棺に入れました。
私はこの手紙、何故かとても好きでした。
たくさんの人に見送られ、お葬式が終わりました。
実家に帰って初七日です。
私は父の「遺影」持って帰るように言われました。
旦那が運転する車🚙
すごく荒い運転で、急ブレーキかけたり、急にスピード出したり
後部座席に座ってたのですが、遺影が前の座席に何度もぶつかりそうになって
私は思わず
「やめて!」
と言ったけど、実家に着く迄嫌がらせのような運転が続きました
隣に座ってた次郎も遺影守ってくれたけど、思い出すと今でも涙が出てきます
親戚が集まり、実家でお経あげました。
父の妹の紗栄子が
「まるちゃん、お茶入れて」
と指示してきました。
私は父の病院にもずっと行ったり、手術の待機、父の死で精根尽き果てていました
「また、私?」
て言ったとたん、紗栄子が
「なんや、その言い方!
「おばちゃん、頼みます。」
て言われへんのか」
と怒ってきました。
もう、しんどいねん
それを聞きつけた紗栄子の旦那が
「コラッ、お前、またいらんこと言うたんか」
とお説教してくれました
自分の親が亡くなった人の気持ちわからない人もいるんですね