私の父は「腹部大動脈瘤」の術後完治せず4回手術しましたが、亡くなりました
2回目の手術の時に「胃癌」がみつかり、「胃癌」の手術もする予定でしたが、手術当日発熱し、結局胃癌の手術はしませんでした。
2回目の手術の後は黄疸も出て「ビカチュウ」みたいに黄色くなってました。
この手術の後、1ヶ月HCU入って、気管切開して喉に管も通してました。
花子の旦那(透ちゃん)も術後お見舞いに来て
「お父さん、頑張ってよ!元気になって、花子の子供お腹に乗せて遊んだってよ!」
手を握りながら、励ましてくれてました
花子はまだ結婚したばかりです。
モラハラ夫は結婚して何年も経つのに、私の父親の「ビカチュウ」みたいな姿もHCU入ってた事も知りません。私は言うてると思うけど、興味ないからスルーです
冷たい人間です
父親が亡くなった時に、私の兄が何故亡くなったか説明してたら、初めて聞いたみたいにしてました
私の父が亡くなる2日前に手術しました。
手術の前に私が病室に行くと、私の母が
「お父さん、まるちゃんやで!
わかるか、まるちゃんやで!」
と言うと、じっと上向いて寝ていた父が顔をあげて、大きく
「ウンウン」
としてくれました
この手術の2日後、意識が戻る事無く、亡くなりました
この手術の時も私は1人で行きました。当日中に終わるかわからない大手術でしたが、旦那からは何の連絡もありませんでした
亡くなった日、母から「危篤」の連絡が入り、私は仕事早退し、太郎と旦那にも「危篤」の連絡しました。
次郎は携帯持ってなかったので、事後報告になってしまいました
お昼に亡くなり、太郎と旦那に連絡しました。太郎はすぐ返事くれましたが、旦那は返事もありませんでした
花子は透ちゃんと産まれたばかりの秋子と急いで来てくれたけど、死に目には会えませんでした
透ちゃんは仕事行ってたのに、早退して来てくれたらしいです。
旦那は定時退社してきて、学校から急いで帰って来た太郎に怒られたらしいです
次郎は家に帰って来る時間に電話かけて
「じいちゃん、死んでもたよ。」
と言うと、悲しそうに
「そうなん」
とだけ言いました。
お通夜の日、子供達は学校行って帰って来たら、お通夜に行く予定にしました。
旦那が
「俺も昼迄仕事行って、帰って来たらハローワーク行くわ。」
旦那は父が亡くなる3ヶ月前に仕事辞めて、バイトしてたんです
また太郎に怒られました
「そんなん、今日行かんでもいいやろ!」
(勝手に仕事辞めて)とかも陰で言うてました。
普通、嫁の親が亡くなったら、仕事休みますよね?
透ちゃんは休んで、実家に来てましたよ。
私は実家から会館に行く父親を見送り、慌てて車で1時間かかる家にもどり、旦那と子供達を連れて会館に向かいました🚙