境の人・油彩版/Vol.02『IZM・Report/file.01』
境の人(BADARAGI~The Border Report~)油彩版Vol.02『IZM・Report/file.01』 ――2025年11月4日09時02分/東京都三鷹市・崖(はけ)―― このニュース映像を初めて確認したのは、県警による公式発表から二日後のことでした。 すでにSNS上では動画が拡散され、スロー再生版、コントラスト強調版、フレーム抽出画像など、無数の加工データが出回っていました。ぼくは、それらをすべて保存し、比較対象として整理しました。編集痕、フレームの欠落、露出補正、合成の可能性。ひとつずつ検証しましたが、少なくとも東北放送およびみちのくテレビが公開した原本映像に、意図的な改変の痕跡は見当たりませんでした。つまり、この映像は「そう映った」ものを、そのまま記録している可能性が高いということになります。 問題は、内容です。 遺体が「消えた」という事実は、常識的な状況判断から著しく逸脱しています。現場は八幡平の山中、厳冬期。十数センチの新雪が積もり、夜間の気温は氷点下を大きく下回っていました。その条件下で、一夜のうちに人体が痕跡を残さず消失することは考えにくい。動物による移動であれば、引きずった痕、血液、雪の掘り返しが残るはずです。雪崩は発生していない。人為的な移動であれば、足跡が完全に消える説明がつきません。 では、何が起きたのでしょうか。 この問いに対して、警察は現時点で明確な回答を出していません。続報もほとんど途絶えています。報道が沈黙する理由は、事件性がないからか、それとも説明不能だからか。その判断は保留せざるを得ません。 そこで、地元の掲示板を時系列で遡りました。今回の発見地点周辺についての書き込みは、事件の一か月ほど前から断続的に見られます。内容は、いずれも断片的で、現実と幻想の境界が曖昧です。「夜中に光る蝶を見た」「風もないのに木々が鳴っていた」「山が息をしているようだった」 語り手たちは、互いに同意を求めるように書き込み、恐怖を共有していました。 そのなかで、ひとつだけ、異質な投稿がありました。〝雪の中に立つ影を見た。人だった。蝶が、頭のまわりを飛んでいた〟 投稿者名は、奇妙な名無し。 投稿日は、遺体発見の二日前。文体は極端に簡潔で、恐怖や感情の揺らぎが一切ありません。報告書のような文章です。偶然の一致、と切り捨てることもできます。しかし、ぼくの調査では、この〝奇妙な名無し〟という書き手は、過去の類似スレッドにも周期的に現れています。投稿内容は常に簡素で、予言めいた形を取り、そして事件や異変が起きた後、忽然と姿を消します。まるで、ネットワークの深部を移動する何かが、表層に浮上してくるように。 ここで、ひとつの仮説が浮かびます。 今回の〝消えた死体〟は、結果ではなく、兆候だったのではないか。異界と現世をつなぐ「通路」が、その地点に開いていたのではないか。それは、鉱山の坑道のように、地中深くから伸び、あるいは蛸の足のように、予測不能な方向へとくねくねと広がっている。普段は閉じているが、条件が揃ったとき、ふいに口を開く。人や物は、そこに「落ちる」のではなく「移動する」のです。もしそうだとすれば、遺体の出現も消失も、一連の現象として説明がつきます。それは境の証であり、裂け目であり、ありうべからざる世界への入口だったのかもしれません。 問題は、その「向こう側」です。そこは、どこにあるのか。時の流れは、こちらと同じなのか。速さは一定なのか、それとも定まっていないのか。もしかすると、向こうでは数分が、こちらでは一晩に相当するのかもしれない。あるいは、その逆かもしれません。 現時点で、確定できることは何ひとつありません。ただ、この報道映像を、ぼくは調査の起点として位置づけることにしました。遺体の身元は不明。事件性は否定されていない。そして、続報は途絶えている。それでも、この〝消えた死体〟は、ぼくが追っている〝境の人〟が、単なる噂や幻視ではない可能性を示す、最初の具体的な痕跡かもしれません。 予感は、すでに静かな確信へと変わりつつあります。 この境界は、思っているよりも、ずっと近くにあるのです。 ◇◇◇ 水彩版は、こちらにあります。 境の人・BADARAGI/水彩版 by 橘|調布市民映画会|note