竹を食べるもの その7
竹を食べるもの その7 そんなこんなで、チベット高原にいくつかの国家が成っては消えていく一方で、中原でもいくつかの王朝が興ったり亡んだりしてた。面積からいえばチベット高原と中原とはさほど変わらず、違いとしてはそこに棲んでる人間の数だった。でも、これがこのふたつの国の明暗を分けた。それについては、これまでにも触れたとおりだ。 もしも、チベット自治区を臍にするこの高原が、多年のおもいを稔らせて完全に独立するようなことになれば、広々とした版図をもった国がふたつ、大陸にならびたつことになる。でも、そんなことには、なかなかならない。 中国には、少数民族に対する政策として、自治区が設けられてる。 5つ、ある。内モンゴル自治区、新疆ウイグル自治区、寧夏回族自治区、広西チワン族自治区、そしてチベット自治区だ。なんで、この省なみかそれ以上の大きさの自治区が置かれてるかっていえば、モンゴル族やウイグル族や回族やチワン族などの少数民族が人口の大部分を占めているからだね。 独立ってことからいえば、戦前と戦中、自治区が独立して建国を試みたこともあったりした。新疆ウイグル自治区がそうで、1933年と1944年に、東トルキスタン共和国っていう名乗りで建国しようとした。でも、上首尾には行かなかった。結局、中国共産党に帰順して、1955年に自治区とされてる。 内モンゴル自治区もそうで、そもそも、モンゴル民族ってひとつなわけで、モンゴル高原がその故地にあたる。で、ゴビ砂漠の北を外モンゴルといって、南を内モンゴルといった。だから、このふたつの地域が統合されて建国されてもおかしくないわけだけど、そうはならなかったんだよね。1915年のキャフタ協定で自治が認められて、1924年にはモンゴル人民共和国っていう名乗りで、外モンゴルはいちおうの独立は果たしたんだけど、内モンゴルは組み込まれなかった。編入されないまま、1939年、デムチュクドンロブ(徳王)が蒙古聯合自治政府(蒙疆政権)を樹てて、内モンゴルにモンゴル人による自治政府が誕生したことはしたんだけど、1945年に自治政府は崩壊、国共内戦を経た1947年、内モンゴル自治区が置かれた。 それと、たとえば、女真族の故地になる北の広闊な大地もそうで、現在、3つの省に分かれてるんだけど、ここはもともと清国の故地で、騎馬民族の大地だった。万里の長城よりも北だからね。でも、自治区とはされない。なぜかっていえば、満洲族、朝鮮族、モンゴル族、回族、オロチョン族とか、複数の少数民族が混住してるのにくわえて、大量の漢民族が流入しているからだ。だから、自治区とは認められないってことらしい。 でも、もしも、この5つの自治区と東北にある3省がかつてのように独立したら、中国はたいへんなことになっちゃう。人口はさほど変わらないかもしれないんだけど、天然資源が凄まじい勢いでなくなっちゃうからだ。 たとえば、内モンゴル自治区の白雲鄂博鉱山。ここは世界最大のレアアース鉱山だからね。また、石油もそうだ。黒竜江省の大慶油田、新疆ウイグル自治区のタリム油田やカラマイ油田、渤海湾の渤海油田とかがそうだね。自治区や山海関の北が独立するようなことなったら、もう、えらいことになっちゃう。 それは地下資源だけじゃない。広西チワン族自治区とチベット自治区には、動的資源、そう、天然記念物になるような野生動物がうじゃうじゃいる。圧倒的な自然があって、いろんな動物が棲んでる。 もちろん、キンシコウもいるし、パンダもいる。 パンダにしてみりゃ、あたしゃ、資源なんかい?なんの資源なんだい?あ、観光資源か~ってなことになるんだろう。なんだかなあ~っておもってるかもしれないね。さて、そろそろ、つぎあたりは最終回かなあ。