そうそう、キャンプ中にボーっと考えていたこと。それは、自分を見失っているのではないかということ。
それこそ高校生の頃から思っていた「小学校の先生になること」ができたのに、何か物足りなさのようなものを感じている。
考えてみて分かったことは、まず今の自分に対して全く満足できない現状だ。以前から、教師という職業は無責任であろうと思えばとことん無責任でも何とかなる職業だと思っていた(勿論、自分はそうなりたくない)。実際に「この人は無責任だ」と思うことがある。例えば、子どもが目の前で何か間違ったことをしているにも関わらず見て見ぬふりをする。その人にはそれなりの考えがあるのかもしれないが、全く理解できない。介入する必要があるときがあるはずだ。何となく、長く教師をしていたら、その感覚がマヒでもするのだろうか。そして「事なかれ主義」にも腹が立つ。全然子どもに向き合っていない。そんな中にいると何だかくたびれる。
でも、くたびれている自分も嫌なので、自分がどうして教師になりたいと思ったのかを振り返ってみた。インドに行ったことや、大学の間に起きた出来事、出会った人達の顔を思い出した。「命の大切さを伝えたい」「みんな違ってみんないい、を実践したい」「平和な社会を創る人を育てたい」「喜怒哀楽を共有できるようなクラスをつくりたい」……他にも沢山の想いがあったことを思い出した。
どこかの歌詞にありそうだけど、いつの間にか社会の殻の中に閉じこもって小さくまとまりたくない。いや、そういうよりは、その殻をよりよいものに変えてやりたい。広げてやりたい。
妥協してもいいことは妥協も選択肢の1つだろうが、絶対に譲れない自分の信念は大切にしたい。想いがなくなれば子ども達と関われなくなる。何が自分にとって大切なのか、本当に必要なことなのか、自分はそれを知った上でいかに歩むのか……これを心のうちに留めながら日々歩みたい。
あとは心身ともに健康でいたい。
そんなこともあって、大学で大切にした場所にもう一度久しぶりに行ってみたいと思う。以前はブログで度々出てきた学童であったり、養護学校、豊中の小学校、カンボジアにもまた春休みあたりに行きたい。
とにかく、自分で決めたことはきちんと守ってやっていきたいと思う。夢の形は変化したとしても、それは自分が成長している証拠だろう。それと同時に、自分の中で変化しないものを大切に積み重ねて生きたい。