全く知らなかったが、ガザを空爆した政権は「和平推進派」の穏健グループだったそうだ。そして、今回の総選挙の結果、強硬派が政権を奪取したという。世界は和平を望むが、現地の人々は日々の恐怖や不安から、強硬派の唱える「安全」に身を預けた。
でも、それでは全く解決しないことは歴史が証明している。それこそ悪魔的な発想である「民族根絶やし」なんてことは絶対に出来ないのである。インタビューで超強硬派の政党党首が記者からの「パレスチナ人とユダヤ人の命の価値は同等ではないのか」という質問に「日本政府が国民を守る時に日本人よりユダヤ人を優先しないだろう」と答えていた。それって、記者の質問の目的とかなりのズレがある。この返答はレトリックにもならない。
また、日本国内の話となるが、今日の産経のニュースに「核武装論したらいいじゃないか」という論調の、「いかにも産経」という記事があった(http://sankei.jp.msn.com/politics/politics.htm)。そんな記事を読むと、何だか日本の今後も怖いものだ。産経の記事の論調は、イスラエル強硬派の考え方とさほど違いはない。仮想敵国を作り出し、憎悪と不安を煽る。
もちろん、世の中は理想だけでは成り立たないことは重々承知している。本来ある保守の「妥協点を探りながら前進していく」といった政治姿勢は必要だ。その保守の中に、右翼が混じってしまっている。保守本流とは言い難い。
そして、理想が全く語られることがない状況は現実主義ではなく、その状況を常に無批判的に受容する単なる思考停止状態といえることを混合してはならない。平和は絶対に大事であって、大量の人命を奪いかねない破壊兵器を持つべきだという論調は言論の自由の適用外だ。以前にも書いたが、言論の自由とは相手を尊重することから成り立つ。それならば、そもそも、命を奪う装置を入手する是非は尚更に必要ない。議論するべきは核廃絶についてだ。そして日本は唯一の被爆国であるのだから。
かなり話はそれたかもしれないが、今後の世界の在り方や歩みを注意深く見ていく必要がある。そして、個々人は主権者としての責任(ある意味では権利)を果たすことが第一である。ユダヤ人はホロコーストの傷と全く似たようなことを、今度は加害者として繰り返そうとしている。右派の言説だと、日本もそうなりかねない危さがある。