少し古い記事ですが…


毎日新聞(http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/talk/news/20070903ddf012070018000c.html


今、平和を語る:ジャーナリスト・むのたけじさん



 ◇戦争できない世の中の仕組みを


 1945(昭和20)年の終戦で日本は大きな転換を迎えた。それは個人も同じであった。私たち新聞記者の大先輩である、むのたけじさん(92)は自らに戦争責任を突きつけて、朝日新聞を退社した。あれから62年、現役ジャーナリストのむのさんに登場してもらった。<聞き手・広岩近広>


 ◇戦争を万悪の根源と書けなかった/新聞は正しく伝えていなかった/退社せず、検証記事を書くべきだった


 ◇9条は勝者と敗者がともに願ったもの


 --従軍特派員として中国や東南アジアの戦場で取材されたそうですね。


 むの 戦争漬けでした。1940年の夏に中国に行ったときのことです。中国の民衆が子どもや青年をとても大事にしており、教育だけはどんな悪条件のなかでも守っているのを見て、このような中国民族を打ち負かす力は日本にない、と思いましたね。日本は侵略したのだから、中国におわびをして、この戦争はやめるべきだとの認識を持ったけれど、それを文章に書いて社会に伝えるといっても、そんなことを新聞社が許すわけがなかった。周りからも国賊だ、非国民と言われます。それが戦争なのです。もちろん新聞社へ銃剣を提げた軍人がきて脅したなんてこともないでしょ、朝日でも毎日でも。新聞記者が自己規制して仲間同士で自分を縛り付けて、やるべきことが何かわかっていても、やらないようにもっていった、これが戦争です。戦争は絶対に許されない、万悪の根源だが、それを新聞に書けなかった。


 --戦後の新聞はその反省に立って再出発したのですが、むのさんはけじめをつけるべきだ、と8月15日に朝日新聞を退社しました。今、振り返られて、その決断に後悔はありませんか。


 むの 一生の後悔ですね。というのは朝日新聞に残って、8月16日から、戦争の姿はこうでしたが新聞は正しく伝えていません、と正直に検証した記事を書き続けるべきだったからです。全国の新聞がやらなければいけなかった。私が発案していたら、社長をはじめ誰も反対しなかったはずです。だが、考えつかなかった。どの新聞も思いつかなかった。それだけ戦争で魂が抜かれていたのですね。


 --その戦争中に幼い娘さんを病気で亡くしました。


 むの 44年の秋でした。三つの娘が疫痢になりましたが、食べ物も薬もありません。医者もいない。結局、無力な父親は娘を助けることができなかった。いまだに娘に申し訳ない気持ちです。戦争というのはそういうものなんです。


 --人類の歴史は、そんな戦争の繰り返しです。


 むの いや、それはまったく違います。人類が誕生して700万年ですが、戦争を始めたのは六、七千年前からなので、ほんの先ごろなのです。というのは当初、人間は狩猟採取の生活をしていた。自然の与えてくれる恵みが生活の糧です。だから平均寿命は30年くらいだった。そして何より怖かったのはトラやオオカミやライオンという肉食獣が人間の周りに多くいたことでしょう。油断すると群をなして襲ってくるのだから、家族や仲間が食いつぶされないためにも、互いに協力し合って肉食獣に立ち向かわねばならなかった。戦争なんかやっている場合ではなかったんです。


 人類の歴史が変わったのは約1万年前で、農耕が始まってからです。食べ物を自然から得るだけでなく、自分たちで作れるようになった。やがて食べても余るようになり、余るとためた。で、富ができる。富は権力をうみ、権力を持った連中は国をつくった。国はあちこちにできた。物持ちの欲望はふくらみもっと分捕ろうとする、それから戦争が始まった。現代の戦争はつまるところ、権力をバックにした経済の矛盾を解決するために物をさばける状態をつくるということでしょう。それには戦争がいちばんいいわけです。


 --湾岸戦争やイラク戦争をみていると、そうした側面がうかがえます。


 むの アメリカが次に狙うのは中国とインドではないでしょうかね。すでに弾の飛ばない戦争に入っているかもしれない。田舎から世界を見ていると、どうもそんな気がする。米軍と自衛隊との合同演習も目につきますでしょ。米軍は自衛隊を自軍に取り込みたいから、憲法を変えてもらいたいに決まっている。それだけに日本は今こそ憲法9条をアメリカに示すべきです。9条は勝てるものと敗れたものとが期せずして同じことを願ったはずではないか、人類の目覚めだったではないかとね。


 --聞く耳を持っていますでしょうか。


 むの 人間はもともと残酷で、人類は戦が好きだと考えるのは事実に反します。だからあきらめる必要はない。戦争をやりたくてもやれないような世の中の仕組みをつくる--これが92年間生きてきた私の答えです。つまり、人間の生き方を変えるということにつきる。平和を求めるではなく、人類が平和主義者として生きることです。だって、もともとはそうだったんだから。いかにして食われないかの中で、死にものぐるいで力をあわせた。その遺伝子が人類にはある。いちばん有害でいけないのは、私たちが自己卑下してあきらめることです。希望はある、絶望の中にある、私はそう確信しています。


 --現実的には課題が多すぎるのではないですか。


 むの 核兵器が地球上に3万発あると言われていますからね。やはりアメリカとロシアの姿勢を変えなければならないが、そのためには国際連合ではだめですね。「国際」は国家主義の「へり」だからね。やはり人類連合、世界連合にしないと。その機運がヨーロッパの動きに出ている。憲法9条にいちばん鋭い理解を示すのがヨーロッパかもしれない。


 --ジャーナリズムへの提言を。


 むの ジャーナルは一日一日の出来事を克明に記録することで、イズムはそれを継続して、ひとつの思想をつくることです。新聞でいえば、それは何のためかと考えると、人を不幸せにすることは二度と起きないようにする。人間に喜びを与えることは増やして育てていく。そのためのイズムをジャーナルにくっつけてジャーナリズム活動をしていく。なぜ起きたか、どうなったか、どうなるのか。これがジャーナリズムですが、今はこんなことがありましたという、単なるトピックスだけになっているのではありませんか。


 --むのさんを支えているものは。


 むの ジャーナリストとして私の根底にあるものはたった一つ、この世から戦争をなくしたい、なくさねばならないという命がけの志です。(専門編集委員)


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 毎月最終月曜日の夕刊に掲載、次回は10月29日の予定です。


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 ■人物略歴


 ◇武野・武治


 1915年秋田県生まれ。東京外大卒。報知新聞を経て40年に朝日新聞に入社。敗戦を機に退社し、郷里の秋田県横手市でタブロイド判の週刊新聞「たいまつ」を創刊する。78年の休刊まで鋭い論評を続けた。その後も「むのたけじ平和塾」や著述、講演とジャーナリスト活動を続けている。01年に第12回農民文化賞受賞。近著に「戦争いらぬやれぬ世へ」(評論社)がある。



毎日新聞 2007年9月3日 大阪夕刊


 


今朝の朝日新聞に、むのたけじさんの記事があり、ネットで検索してみたらこの記事が出てきた。ちなみに、朝日の記事には「人は違っているから分かり合える」「違いを認め合えるからこそ愛し合うことが出来る」という力強い言葉があり、印象的だった。とにかく、希望を失ってしまってはいけないのだと改めて感じた。


そして、ジャーナリズムの根幹に「人を不幸せにすることは二度と起きないようにする。人間に喜びを与えることは増やして育てていく。」という思想があってほしいと強く望む。