こんにちは

久しぶりの投稿です。

今の気持ちと

前の三男坊の続きを書いていきたいです。



毎日、毎日

母ちゃんは家に居る

あたたかいご飯も

あたたかいお風呂にも入れる

母ちゃんにも

いつもの日常が戻ってきた


いつもの、、、

そこにいつも居た三男坊の姿が無い

お母さん、お母さんって呼んでくれた

三男坊の姿を探しても居ない


日常という現実が

三男坊が亡くなって

居ないという現実を思い知らされる


なんでだろか

家族みんなが

夢かと思ってしまう


探しても

外泊で帰ってきた、ベッドがあった部屋に

三男坊の笑顔の遺影がある

それを

受け入れていくことで

苦しみが襲い、涙を流してしまう


だけれど、

今は

次男が

お母さんって

家で呼んでくれています


母ちゃんには家族が居てくれている


心配をしてくれる家族

心配する家族がいる

支え合いながら

生きていく


わかっていても

葛藤の毎日

死んでいく順番は確かに意味がある


1番下の末っ子が居なくなる現実を

いつまでも受け入れることは困難だろう


こんなこと、経験をした人しか

きっとわからないんだろうけど

こんな経験はして欲しくない 


肉体は無くとも

魂がある

良く聞く言葉


そばに居た人が居なくなる

想像している以上の寂しさがおそう


比べたら

今も幸せなんだろ

だけれど

今も何か欠けてしまった心に

埋めることができない

毎日を精一杯生きてます


あれからの経過を書いていきたいです。


色々あった投薬ミスから

看護師長が個室に来てお母さんって呼び出すもんで

三男坊は、個室に移動になったから

お金のトラブルではないかと心配して

僕のせいではないかとずっと心配して

母ちゃんに謝って来ました。

違うよって言っても心配しているので

師長さんに三男坊が落ち込んでるいる説明をして、師長さんが頻繁にくる理由を金銭トラブルではない言葉かけをお願いしたら

そういう気持ちにさせていたことを

三男坊に謝って、お金のトラブルではないこと、

心配しないで大丈夫だと伝えてくれました。


三男坊は

本当に良かったって泣き出して

その姿を見るだけで

心が苦しく

こんな優しい息子に

こんな気持ちをさせていたなんてと

悔しくて悔しくてたまらなくて

この病院でなければ、投薬ミスも無く

親子で

こんな思いにならなかったのかと

大事な大事なI日I日を

奪われた日はとてつもなく辛かった

三男坊は

I日I日が身体の痛みとしんどさの戦いで


足が動き出して、復活目前まで行ってたのに

ある日、朝からまた急に動けなくなってしまった


それからは早かった

お風呂にも、車椅子に移動してトイレをするにも

できなくなり出した

意味がわからないスピードに

親子で戸惑っていた


主治医からの呼び出し

外泊するなら

この数日と言われて

外泊するなら

覚悟をしてくださいと


意味がわからない言葉ばかり並びだした


説明が不十分で

何を意味しているかと言うと

急変するといい出していた。


本当に信じたくなかった

だけれど、酸素をつけるようになり、尿が出にくい状況になり、うんちが気張れなくなり、おならさえできなくなってきた。


主治医は自分が言った通りになっているから

何もしない

治すことはもうしない

どう過ごして、息子が亡くなるのを決めていく段取りをしているように思えた


こうなる面談の時、

延命措置の話

もしもの時は延命の処置を主人が主治医にお願いしても、心肺蘇生時に骨が折れて、血だらけになる子供が可哀想だから、助かったとしても苦しむだけだと説明され、主治医からは、『お願いですやめてくださいお父さん』と言われたそうです。


延命装置もしないと、人工呼吸器もつけないと、悩んだ末に父ちゃんは決めた。


もう過ぎていくことを待つような感じでした


三男坊はトイレでしたかった、だけど、母ちゃんのことを思ってくれたのか、オムツを受け入れて、管を入れるようになってくれた。

悔しかったと思う、トイレでしたい、おしっこも

うんちも、14歳でオムツにしなさいって言われて、直ぐにできるわけでもなく、本当に嫌でたまらなかったと思う。

主治医は一日出なかったら、浣腸か便の薬をって言う、それもこれも彼を追い込む。


ある日、お母さん、俺はこだわりを捨てたんやでって言われた。

それは、歩けなくなって、寝返りもできない、おしっこもうんちも、1人でできなくなって、大好きなお風呂にも毎日入れなくなった三男坊からでた言葉だった。


お母さん

立ってることがすごいこと


お母さん

当たり前じゃないからな


気づいてや


俺、後悔してる


歩ける時に

なんでもっとお母さんと家族と

散歩に行ってたら良かった


なんでもっと

兄ちゃん達と

キャッチボールや

素振りをしといたら良かった


ほんまに、俺、後悔してる、、、


できることが

当たり前じゃなかったんや


だからな

みんなには後悔して欲しくないねん


できる時に色々して欲しい


お風呂もな、恥ずかしいんやけど、1人じゃ入られへんから、みんなに助けてもらわないとあかんからって

こだわり捨てたからなって


裸になる姿も恥ずかしかった

移動するのにも風呂場のストレッチャーでは

狭くて着替えができないから、上着だけきて

下はタオルで隠して移動したり

本当に大変だけど受け入れていった


骨転移は移動だけでも身体中が痛く

移動するたびに痛すぎて

もがきつづけるのですが、綺麗好きな三男坊

毎日お風呂には入りたい

だけど病院の都合もあるから、

病院の都合と三男坊の体調が良ければ入れた

湯船につけてもらえる日は

湯船につけてもらえると気持ちいいって

喜ぶ笑顔が

たまらなく可愛いくて

親子で

1つ1つに感謝をするようになっていきました。


そこから、久しぶりの外泊!

家に帰ってこれた

なんとか家に移動した。

大変だった。


帰れなかったら、家を見るだけでいいって言ってた

三男坊

なんとか家に行けた時は

みんなで歓声をあげた



次回に続きます。。。