2020年 8月12日
入院の準備をしてもらっている間
少し時間があった。
待合室には、いつも通りスマホでパズルゲームをする父の姿。
「白血病疑いだって(笑) やばくない?(笑)
でもさ、白血球の量が多いってことは、
私今、免疫力最強ってことじゃない???
スーパーマンじゃん😏」
父の反応を見るのが怖くて、一息に言った言葉たち。これは、自分のためでもある。
「絶対大丈夫」誰も言ってくれないからこそ、自分で言うしかなかった。
父は、スマホをいじる手を少し止めて
「大丈夫でしょ、池江璃花子さんだって復帰してるし。今は、白血病も治る病気だよ。」
そのあと、眼科の診察待ちを私の代わりにしていた母にも連絡。
入院をするから今日は眼科に行かなくていい事になった。(私のお世話になっている病院は眼科の予約ができなくて、激混みなんです)
母が、少し経って
私と二人でいる時に、
「ごめんね。元気に産んであげられなくて。」
と呟いた。1番言わせたくないセリフだった。
-------------------------------------------------------------
私は1997年5月9日に徳島県で生まれた。
両親は、知人の結婚式で知り合って結婚した、とかなんとか。
私の前に、お姉ちゃんがお兄ちゃんがいた(私は勝手にお姉ちゃんだと思ってるけど)
そのお姉ちゃんが、生まれる前に亡くなってしまって両親は、もう子どもを諦めたんだって。
徳島でマンションかりて、老後どうやって暮らしていくか考えてたとき、
私がひょっこりできたって。
お父さんが 46歳
お母さんが 39歳の時の子ども。
母は、27で結婚したって言ってたから
結婚12年目でできたのが私。
お母さんは高血圧だったりで、帝王切開で生まれた。
生まれたばかりの私を見て、
何回も何回も
手と脚はあるか
指は5本あるか
声は聞こえてるか
何度も何度も確認したって言ってた。
いざ育っていくと、小学校は病院皆勤賞
体が弱くて、救急車何回か乗ったな、、
中学生は、メンタルが弱いのも相まって
よく胃腸炎になってご飯が食べられなかったり、
高校大学は、だいぶ丈夫になって
やっとお母さん安心させられたと思ったのに。
--------------------------------------------------------------
「ごめんね。元気に産んであげられなくて。」
脳内にまだ、響いてる。
私は白血球が多くて、スーパー強い人だよってお父さんに言ったのと同じように、呪文のように唱えた。
入院は急に決まったし、最初の二日は隔離が決まっていた。一般病棟に入院が決まってもコロナの影響で面会は難しい。
だから看護師さんが、普通より長めに両親と話す時間をとってくれた。
点滴をつけ、車椅子に乗りながら、
両親とした入院前の最後の会話は
自分を勇気づけるための呪文の言葉。
"私は今、免疫最強スーパーマンだから。"