暗い室内に男がイスに座っている。やや小太りな男は眠っているのか背もたれに体を預け、下を向いているため顔が見えない。両足は投げ出されているが、腕は2本とも背もたれの後ろに組まれていて、そこにある筒状の手錠に拘束されているようだ。
年齢は20~30代、服装はジーパンに黒のTシャツとシンプルだがTシャツには穴があいていて、あまり小綺麗な印象ではなく、しかし不潔とも感じない。
 
男が座るイスは壁側に置かれていて部屋を一面見渡すことができる。
といっても、出口に続くらしい短い手摺りつきの階段があるだけで他にはコンクリートの壁と床ぐらいしかない。 
寒々しい部屋に男の寝息の音だけが聞こえる。
 
しばらくすると階段の上からドアの開く微かな音が聞こえ、こちらにおりてくる足音がコツコツと響いた。現れたのは黒いブカブカのパーカーを着て、大きなフードで顔を隠している人間…おそらくだがこの部屋の主だろう。ニヤニヤと笑う口元が見えるだけで他にはわかることはない。その主は椅子に縛られた男に近づいていった。
眠っている男はひどく無防備で息がかかるほど顔が近づいても気づかないらしかった。
 
主の口元だけが動きだし、なにやら囁いているようだが小声で聞き取れない。
だが、その部屋の主かもしれない人は変わらず口元だけが笑っている。
囁きが終わるとパーカーのポケットから白いマスクを取り出した。ちょうどが道化師がつけるような白く無表情な仮面。
なにもペイントされていない無垢な仮面は不気味ですらある。
 
部屋の空気が張り詰めていく。主は二本の腕をだらんとおろすとしばらく男を見下ろしていたが、ズボンのポケットから茶色い小瓶を取り出し蓋をあけ、男の鼻に近づけた。
 
すぐに男の鼻はひくつき、咳き込み始めたを確認すると主は小瓶をしまう。
強制的な目覚めが不快だったのか眉をひそめながら顔を上げた男は目の前の仮面の人物にぎょっとしたらしく目を見開き、口をあんぐりとあけたままで固まってしまった。
 
「道化師の地下室へようこそ」
 
長い一日が始まるようだ。道化師と名乗る声はひどく楽しそうに響いた。
 
哀れなる彼女に捧ぐ
醜悪なる語り
 
開幕
 
 
薄暗い部屋の中で声が聞こえる。男のそれは乱れた呼吸の合間に苦しげに響くが、声が漏れるのはむしろそれとは逆の感覚の為だ。
今、この瞬間以上に自分が男だと感じる時は彼にはないのかもしれない。
 
狭い部屋だ。
若い男が一人で暮らしているのだから当然かもしれないが、ベッドとテーブルと棚を置けば埋まる位の小さな一室。 
そこにある広くはないベッドの上で男は女の体を抱きしめていた。
 
「やっぱりなぁんも話さないんだね、さっちゃんは」 
行為を終えたままの恰好で二人はベッドに寝ていた。男は自分の両手を頭の下に組み天井を見上げ、女はベッドの隅で男に背を向け膝を抱える様にしている。
 
「もうどれ位かな?俺達」
 
女は答えない。
かわりに男は自分の手を天井に向け、指を折りながら数えてみた。季節が二つは過ぎているのだから日より月で数えた方が楽なのは確かだ。
 
「…さっちゃん、辛いんでしょ?俺に抱かれるの」
 
天井を見つめながら男が言うと、女の肩がぴくりと動いた。
 
「会いに来るはさっちゃんのくせに…俺…まださっちゃんの名前も知らないんだよ」
 
女の方に体の向きを変えれば自然と壁に背を向ける形になる。女にとって自分は壁と同じだと男は思った。 
自分よりいくらか年下のよく喋る壁 
 
「俺…さっちゃんの体しか知らない…あとはサボテンが好きって事くらい…」
 
数ヶ月前、バーで最初に会った時に女はぽつりと話していた。
 
サボテンは枯れないから好きだと
 
「だから…‘さっちゃん’」 
男の腕が女の肩を引き寄せようと触れた時、女の体は一度だけ跳ねて冷たく硬直する。
幾度も夜を共にしながら今だに名前も素性も知らず、相手である自分の事を聞きもしない女を男は苦々しく思いながらも今夜こそは…と強引に抱き寄せた。
 
「いつもさ…いっつも冷たいよさっちゃんの体…俺…さっちゃんの言う通りにしてきたけどもう限界…もう人形みたいなさっちゃんは見たくないよ…」
 
耳元で囁きながらゆっくりと男の手が動き出す。
 
今まではした事のない拒絶すらされた優しさは不器用な愛を囁いた。
 
夜は永く暁の光は一筋も見えない
おかあさんがいなくなった 
おとうさんが
「お父さんとお母さんは離婚する事になった。これからは家族で協力していこうな」
 
…って、こわいかおでいってたけど…
 
「りこん」ってなんだろう? 
おかあさんがいないことが「りこん」なのかな?
 
きっとかくれんぼなんだね
 
おかあさんをみつけるのが「りこん」なんだ!
 
「おかあさーん!もういいかぁい…」
 
ベッドのしたもクローゼットのなかもさがしたよ
テーブルのしたやドアのうしろもみてみたよ
 
ぜんぶぜんぶさがしてるのにおかあさんがいない
 
「おかあさんどこー?」
 
あ…ひとつだけわすれてた
 
おとうさんがつかう
いえのしたのちかしつ
あぶないからはいったらだめだっていわれたちかしつ
 
あそこならぼくにみつからない
 
うきうきしたきもちでいってみたらおかあさんがみつかった
 
おおきなれいぞうこのなかでねむってたよ
ぼくはうれしくて
おかあさんにいったんだ
 
「おかあさんみーつけた」