秀吉が築き家康が建てなおした名城の春。
京都市伏見区 「伏見城」 (古都探訪 131)

模擬大天守と小天守がそびえる桃山丘陵は、東山から連なる丘陵の最南端に位置し、南には巨椋池が広がり、かつて水運により、大坂と京都とを結ぶ要衝の地であった。

伏見城は三度により築城され、最初は朝鮮出兵後の1592年に豊臣秀吉の隠居住まいに、最後は徳川家康により再建されたが1619年に廃城となり、建物や部材は二条城や福山城に移築された。

5重6階からなる望楼型の平山城は、1964年にオープンした”伏見桃山城キャッスルランド”のランドマークとして建設されたもので、林原美術館所蔵の洛中洛外図を参考に設計されたコンクリート製。

年間入場者は、ピークの1978年には約100万人まで達したが、USJのオープンなどにより入場者数が激減し、2003年1月31日に閉園の憂き目にあう。

その後京都市は一帯を、伏見桃山城運動公園として整備することを表明したものの、当初模擬天守は解体する方向だったという。

地域住民の強い要望に沿い難を逃れた天守は、調査により耐震基準を満たしていない可能性が高まったため、現在城内に立ち入ることはできない。

桜と名城の組み合わせは、日本人の心を強く揺り動かし、特にハラハラと散る儚さは、栄枯盛衰に通じ心染みる。
photo by OLYMPUS OM-D EM-5Ⅱ
京都市伏見区 「伏見城」 (古都探訪 131)

模擬大天守と小天守がそびえる桃山丘陵は、東山から連なる丘陵の最南端に位置し、南には巨椋池が広がり、かつて水運により、大坂と京都とを結ぶ要衝の地であった。

伏見城は三度により築城され、最初は朝鮮出兵後の1592年に豊臣秀吉の隠居住まいに、最後は徳川家康により再建されたが1619年に廃城となり、建物や部材は二条城や福山城に移築された。

5重6階からなる望楼型の平山城は、1964年にオープンした”伏見桃山城キャッスルランド”のランドマークとして建設されたもので、林原美術館所蔵の洛中洛外図を参考に設計されたコンクリート製。

年間入場者は、ピークの1978年には約100万人まで達したが、USJのオープンなどにより入場者数が激減し、2003年1月31日に閉園の憂き目にあう。

その後京都市は一帯を、伏見桃山城運動公園として整備することを表明したものの、当初模擬天守は解体する方向だったという。

地域住民の強い要望に沿い難を逃れた天守は、調査により耐震基準を満たしていない可能性が高まったため、現在城内に立ち入ることはできない。

桜と名城の組み合わせは、日本人の心を強く揺り動かし、特にハラハラと散る儚さは、栄枯盛衰に通じ心染みる。
photo by OLYMPUS OM-D EM-5Ⅱ