he-cyanに昨日若葉台で行われた「里山再生事業」について、ブログにてフラレたので、これからその「反対意見」をお話したいと思います。
かなりの長文になりますし、専門的用語が沢山出てきますが、ゆっくりと、お茶を飲みながらでも読んでみてください。
先ず始めに、誤解をしないでほしいのですが、植樹そのものについて、異論を唱えているわけではないと言う事をご理解ください。
植樹=命を育む事。 住民が、市民が、一体となり植物を植えること。 この行為は、健全な自然観、生命観を育み、また交互のコミュニテイ作りのためにも大変重要なファクターであることに何ら異論はありませんし、私も常日頃からその実践をし、おやじの活動の中でもその重要性をお話ししています。
問題なのは「何故、若葉台の里山を切り開いて、改めて植樹をする必要があるのか?」この1点です。
これからが本題ですが、まずその基礎知識として「森の形態」についてお話します。
「森の形態」とは簡単に言うと森の種類の事を指します。
森には大きく分けて、次の3つの形態があります。
1つは、スギやヒノキなど人による植林によって作られた「人工林」です。
2つ目は、私達の身近に存在する、コナラ、クヌギ、マツなどによって形成される「雑木林(里山)」です。
3つ目は、人のあまり踏み入れない奥地、スダジイ、タブノキなどで形成される「原生林」です。
その中で最も重要なのは、3の原生林(原植生)であり、この中には世界遺産でもある白神山地のブナ林や屋久島の原生林などが含まれます。 しかし原植生が日本全土に占める割合は、僅か全体の1%にも満たず、その保護、拡大が急務となっています。
ここで「若葉台の里山」は、2の雑木林である事が皆さんに理解できたはずです。
雑木林は、昔から人々がそこに生えている木を、生活資材や燃料として用い、伐採→雑木林の形成→伐採の形を連綿と繰り返してきたのです。
しかし近年になり、石油や木材に代わるものが私達の周りに多くなるに従い、雑木林の存在が必要でなくなり、所謂「森が荒れた」状態になった、と一般に言われています。
が、しかし今一度中学生の頃習った「理科」を思い出してください。
森の推移を覚えているでしょうか? 伐採から始まり10年経ち20年経ちやがて200年、300年・・・
日本の森の大部分は「常緑広葉樹林帯」と呼ばれ、仮に何らかの形で木が伐採され草原となっても、200年後には元のアラカシやタブの安定した森(原植生)に回復するのです。
そこで、2の雑木林は陽樹の森と呼ばれ25年経過した頃から形成される形態過程の森でもあります。
簡単に言うと「若葉台の里山(雑木林・2の状態)、今はクズやススキ類が入り込み荒れた状態になっているけど、このままほっといても最後には立派な森が回復しますよ。」と言うことなんです。
安定した森の事を「極相」と言いますが、雑木林はその過程の「途中相」なのです。(照葉樹林帯における二次遷移の模式図)
では、今回植林した若葉台の里山に行きます。
今回植林したのは、コナラ、クヌギ、ヤマザクラ、イロハモミジの4種。 どれも雑木林を形成する樹木です。 前回のような外来種のイチョウはありませんでした。
では、伐採前の里山にはどんな樹木が生えていたのでしょう?
若葉台おやじの会のHP「里山の植生」を今一度開いてみてください。 そこには71種類の木を紹介していますが、里山には悠に100を超える木の種類が確認できます。
http://www.ncn-t.net/watch-dog/newpage57.htm(里山の植生)
では、疑問をぶつけてみましょう。
1つ、「里山の再生」であれば、4種類の植樹で良いの? わざわざ100種類もある樹木を伐採し、4種類だけ植えて再生といえるの??
2つ、本来の森に返りつつある森(途中相)を破壊して何故「再生」と言えるの?
3つ、森には広葉樹もあれば落葉樹もある。 何故落葉樹ばかり植えるの?
命を植える作業が、命を絶って植えられている。 その事だけでも「愚作」であると言えるのに、本当にこれで良いのか? 鳥取市はきちんとこの疑問に答えて欲しい。
植樹の前にイオン環境財団の岡田理事長から、ごあいさつがあった。
その中で「私達は日本全国に留まらず、中国の万里の長城の植樹も行っている」と話された。
私達の持つ万里の長城のイメージは、花崗岩が露出した裸山に長城が延々と、と言うイメージだ。 その姿は本来の姿ではなく、城を造るため周囲の森を伐採し、レンガを焼くために、あのような姿に変わり果てたのだ。
長年に渡り中国政府は、本来の姿に取り戻すべく植林活動を行ってきたが、「植樹の3年後には看板とつっかえ棒しか残らない」状態が続き、手の施しようが無かった。
それを岡田理事長と私の尊敬する、横浜国立大学名誉教授 宮脇 昭さんが挑戦し、現在その活動が実を結びつつある。 数十年後には森に囲まれた万里の長城が「当たり前のイメージ」として定着するだろう。
宮脇先生は「本来そこにあった樹木(原植生の種子)」である「モウコナラ(日本のコナラに近い種類)」を発見し、育苗し、植林した。
地元中国政府が「完全にサジを投げた場所」に見事森を復活しつつあるのだ。
だからこそ私は、日本全国どこでも、その土地に合った本来の植物を植えるべきと言っているのだ。
このようなイオン環境財団の功績はもちろん全国で、しっかりとした基本姿勢(本来の森を戻す)のもと行われている。
しかし、何故鳥取で、若葉台で、「財団の本来の姿」が見えてこなかったのか?
本当に疑問の残る「里山再生事業」でした。
長々とお読みいただき、ありがとうございました。
かなりの長文になりますし、専門的用語が沢山出てきますが、ゆっくりと、お茶を飲みながらでも読んでみてください。
先ず始めに、誤解をしないでほしいのですが、植樹そのものについて、異論を唱えているわけではないと言う事をご理解ください。
植樹=命を育む事。 住民が、市民が、一体となり植物を植えること。 この行為は、健全な自然観、生命観を育み、また交互のコミュニテイ作りのためにも大変重要なファクターであることに何ら異論はありませんし、私も常日頃からその実践をし、おやじの活動の中でもその重要性をお話ししています。
問題なのは「何故、若葉台の里山を切り開いて、改めて植樹をする必要があるのか?」この1点です。
これからが本題ですが、まずその基礎知識として「森の形態」についてお話します。
「森の形態」とは簡単に言うと森の種類の事を指します。
森には大きく分けて、次の3つの形態があります。
1つは、スギやヒノキなど人による植林によって作られた「人工林」です。
2つ目は、私達の身近に存在する、コナラ、クヌギ、マツなどによって形成される「雑木林(里山)」です。
3つ目は、人のあまり踏み入れない奥地、スダジイ、タブノキなどで形成される「原生林」です。
その中で最も重要なのは、3の原生林(原植生)であり、この中には世界遺産でもある白神山地のブナ林や屋久島の原生林などが含まれます。 しかし原植生が日本全土に占める割合は、僅か全体の1%にも満たず、その保護、拡大が急務となっています。
ここで「若葉台の里山」は、2の雑木林である事が皆さんに理解できたはずです。
雑木林は、昔から人々がそこに生えている木を、生活資材や燃料として用い、伐採→雑木林の形成→伐採の形を連綿と繰り返してきたのです。
しかし近年になり、石油や木材に代わるものが私達の周りに多くなるに従い、雑木林の存在が必要でなくなり、所謂「森が荒れた」状態になった、と一般に言われています。
が、しかし今一度中学生の頃習った「理科」を思い出してください。
森の推移を覚えているでしょうか? 伐採から始まり10年経ち20年経ちやがて200年、300年・・・
日本の森の大部分は「常緑広葉樹林帯」と呼ばれ、仮に何らかの形で木が伐採され草原となっても、200年後には元のアラカシやタブの安定した森(原植生)に回復するのです。
そこで、2の雑木林は陽樹の森と呼ばれ25年経過した頃から形成される形態過程の森でもあります。
簡単に言うと「若葉台の里山(雑木林・2の状態)、今はクズやススキ類が入り込み荒れた状態になっているけど、このままほっといても最後には立派な森が回復しますよ。」と言うことなんです。
安定した森の事を「極相」と言いますが、雑木林はその過程の「途中相」なのです。(照葉樹林帯における二次遷移の模式図)
では、今回植林した若葉台の里山に行きます。
今回植林したのは、コナラ、クヌギ、ヤマザクラ、イロハモミジの4種。 どれも雑木林を形成する樹木です。 前回のような外来種のイチョウはありませんでした。
では、伐採前の里山にはどんな樹木が生えていたのでしょう?
若葉台おやじの会のHP「里山の植生」を今一度開いてみてください。 そこには71種類の木を紹介していますが、里山には悠に100を超える木の種類が確認できます。
http://www.ncn-t.net/watch-dog/newpage57.htm(里山の植生)
では、疑問をぶつけてみましょう。
1つ、「里山の再生」であれば、4種類の植樹で良いの? わざわざ100種類もある樹木を伐採し、4種類だけ植えて再生といえるの??
2つ、本来の森に返りつつある森(途中相)を破壊して何故「再生」と言えるの?
3つ、森には広葉樹もあれば落葉樹もある。 何故落葉樹ばかり植えるの?
命を植える作業が、命を絶って植えられている。 その事だけでも「愚作」であると言えるのに、本当にこれで良いのか? 鳥取市はきちんとこの疑問に答えて欲しい。
植樹の前にイオン環境財団の岡田理事長から、ごあいさつがあった。
その中で「私達は日本全国に留まらず、中国の万里の長城の植樹も行っている」と話された。
私達の持つ万里の長城のイメージは、花崗岩が露出した裸山に長城が延々と、と言うイメージだ。 その姿は本来の姿ではなく、城を造るため周囲の森を伐採し、レンガを焼くために、あのような姿に変わり果てたのだ。
長年に渡り中国政府は、本来の姿に取り戻すべく植林活動を行ってきたが、「植樹の3年後には看板とつっかえ棒しか残らない」状態が続き、手の施しようが無かった。
それを岡田理事長と私の尊敬する、横浜国立大学名誉教授 宮脇 昭さんが挑戦し、現在その活動が実を結びつつある。 数十年後には森に囲まれた万里の長城が「当たり前のイメージ」として定着するだろう。
宮脇先生は「本来そこにあった樹木(原植生の種子)」である「モウコナラ(日本のコナラに近い種類)」を発見し、育苗し、植林した。
地元中国政府が「完全にサジを投げた場所」に見事森を復活しつつあるのだ。
だからこそ私は、日本全国どこでも、その土地に合った本来の植物を植えるべきと言っているのだ。
このようなイオン環境財団の功績はもちろん全国で、しっかりとした基本姿勢(本来の森を戻す)のもと行われている。
しかし、何故鳥取で、若葉台で、「財団の本来の姿」が見えてこなかったのか?
本当に疑問の残る「里山再生事業」でした。
長々とお読みいただき、ありがとうございました。